まったく真っ新な状態ではじめることなどはあり得ず、何ごとも、そのまえには何かしらのモノなりコトなりがあったはずなのに、真っ新にして、一度リセットしてはじめようとする、建築も。
もし、まえにあったはずのコトやモノとつながる方法があれば、躊躇なく、それを選択するはずなのに。それはけっして珍しいことでもなく、あたりまえのように、つながることはあると、成功例をさがして、アナロジーすればいい。誰かしらがかんがえている、他のところで。
生まれ育った家は、たぶん、築70年以上だろう。増改築を何度も繰り返して、一番最初の外観はどこにもない。もちろん、一番最初の建物を見たことはないが、生前の父親から聞いて当時の平面図はおこしてあり、現在の平面図と比べることはできる。
昔の家は和室が連なったプランであり、壁が極端に少ない。襖や障子の開閉により、部屋の大きさを可変することができ、同じ部屋にいくつかの用途が、例えば、寝室とダイニングのように、重ねられており、家具や寝具も固定ではなくて、収納や移動が可能だった。
あきらかに、今と昔では、空間のあり方や秩序がちがう。それの一番の原因は、生活様式の変化だろう。座敷から椅子になり、寝室とダイニングは分離された。
だから、そこでモノの扱いも変わった。そのモノの扱いのちがいが空間のあり方や秩序に事後的に影響する。それをいまの建築の中に移植することで、前の建築からのつながりは保たれる。主題にすべきは移植の仕方だろう。
入れ子構造というと、ロシアのマトリョーシカ人形を思いだす。マトリョーシカ人形は大家族を連想させる縁起物らしい。大小でつながり、同じ場所でつながり、同じようにつながる、からだろうか。たぶんに建築的である。
建築でも入れ子構造になっているプランは昔から多い。大事な空間を包むように外の空間があったり、大きな空間の中にいくつもの空間が内包されていたりなどする。そうして見ていくと、入れ子構造は空間に関する秩序的なものであり、マトリョーシカ人形も空間の外形ともいえる。だから、マトリョーシカ人形はモノと空間の両方の特徴を合わせもつ、ともいえる。
ただ、この入れ子構造という秩序には、空間の内容は関係ない。もちろん、建築として構成する場合は、空間の機能や目的といった内容によって、入れ子内の配置やつながりが決まるだろうが、入れ子構造だけでかんがえれば、空間の内容はどうでもよく、秩序だけを扱うことができる。それは面白いとおもった。