自動運転

成り立ちがわからないものほど、魅力的なものはない。目の前に、複雑で、何でそうなるかがわからないものがあったら、とりあえず、興味をひかれる。

ただ、それをもっと知りたくなったとき、わからないだけにのめり込む。そのときののめり込み方は盲目的になる。なぜとか、どうしてとか、をかんがえることなしに、自動運転のごとくのめり込む。

それが良いとか悪いとかは、側から見ている人の勘違いである。自動運転をしているから面白くて、さらに興味をひかれ、それが魅力的なものになる。これは都市に対しての話である。

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誰かが他で

まったく真っ新な状態ではじめることなどはあり得ず、何ごとも、そのまえには何かしらのモノなりコトなりがあったはずなのに、真っ新にして、一度リセットしてはじめようとする、建築も。

もし、まえにあったはずのコトやモノとつながる方法があれば、躊躇なく、それを選択するはずなのに。それはけっして珍しいことでもなく、あたりまえのように、つながることはあると、成功例をさがして、アナロジーすればいい。誰かしらがかんがえている、他のところで。

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答えより展開の仕方

答えからかんがえて問題をつくることはよくある。自作自演のようだが、唯一の正解を導く問題のつくり方としては正しいような気がする。あと、問題から答えへの展開に無駄がなく妥当性があるように見せることもできる。

ちょっと引いてみてみると、何事も答えに着目するというよりは、問題から答えを導きだす展開の仕方に着目するような気がする。その展開が鮮やかなほどクリエイティブにみえる。着目するところは答えではないということだ。

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秩序がないさま

ラジオから流れてきた旅の話、返還前の香港を思い出した。まだ九龍城砦があった頃、遠目でながめて、カオスという言葉の代名詞のような所というイメージがあった。

全体的に無秩序のように見えたが、よく見ると部分部分にはそこだけの秩序があり、それらの部分が全体を成す時には秩序がないように見えた。

秩序がないさまは魅力的だが、本当に無秩序はちょっと困るような気もする。部分部分には秩序があり、ただ、全体的にはとくに秩序を必要としないような計画があらかじめできたら、それが一番いいのかもしれない。

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モノの扱いのちがい

生まれ育った家は、たぶん、築70年以上だろう。増改築を何度も繰り返して、一番最初の外観はどこにもない。もちろん、一番最初の建物を見たことはないが、生前の父親から聞いて当時の平面図はおこしてあり、現在の平面図と比べることはできる。

昔の家は和室が連なったプランであり、壁が極端に少ない。襖や障子の開閉により、部屋の大きさを可変することができ、同じ部屋にいくつかの用途が、例えば、寝室とダイニングのように、重ねられており、家具や寝具も固定ではなくて、収納や移動が可能だった。

あきらかに、今と昔では、空間のあり方や秩序がちがう。それの一番の原因は、生活様式の変化だろう。座敷から椅子になり、寝室とダイニングは分離された。

だから、そこでモノの扱いも変わった。そのモノの扱いのちがいが空間のあり方や秩序に事後的に影響する。それをいまの建築の中に移植することで、前の建築からのつながりは保たれる。主題にすべきは移植の仕方だろう。

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差を見る

差分というか、どれ位ちがうか、その差がメインになる方が面白いことになるかもしれない。どうしても、いくつかモノがあると比べて、ちがいを判断材料にして、どれかを選ぶ。

どれかを選ぶより、ちがい自体に目を向けて、その差によりスポットをあて、ちがいを主題にすれば、そこにある全てのモノに差のちがいという固有性が生まれ、全てのモノが活きる。

そうすると今度は、どのような差を見てとれるか、ということに注力することになる。そこに今までとはちがう見方が必要になる。

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入れ子の秩序

入れ子構造というと、ロシアのマトリョーシカ人形を思いだす。マトリョーシカ人形は大家族を連想させる縁起物らしい。大小でつながり、同じ場所でつながり、同じようにつながる、からだろうか。たぶんに建築的である。

建築でも入れ子構造になっているプランは昔から多い。大事な空間を包むように外の空間があったり、大きな空間の中にいくつもの空間が内包されていたりなどする。そうして見ていくと、入れ子構造は空間に関する秩序的なものであり、マトリョーシカ人形も空間の外形ともいえる。だから、マトリョーシカ人形はモノと空間の両方の特徴を合わせもつ、ともいえる。

ただ、この入れ子構造という秩序には、空間の内容は関係ない。もちろん、建築として構成する場合は、空間の機能や目的といった内容によって、入れ子内の配置やつながりが決まるだろうが、入れ子構造だけでかんがえれば、空間の内容はどうでもよく、秩序だけを扱うことができる。それは面白いとおもった。

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