外観の馴染む、突出するをミックスして

服も化粧も、自分が身につけるものや着飾るものは、自分と社会との関係性を表現したり、関係性を調整したりするものであり、TPOに合わせた服選びもその一種であり、それは建築でも同じであるという。

建築でいえば、棟飾りや玄関周りの装飾がそれに当たるかもしれない。今では見られなくなったが、その集落の長の家には特別な装飾が施されていた。

それをもっと発展させて考えると、建築の外観も社会との関係性を表現しているものといえるだろう。外観全体を考えると、その地域で突出したものというより、違和感なく馴染むものが求められ、地域によっては街づくりガイドラインなるものがあり、外観の仕様や色などが条例などで定められていて、それも主旨としては突出したものよりは馴染むものをつくらせるためにある。

例えば、昔からの宿場街のような古い街並みの意匠を守り、街並みの統一感を保とうとする場合は、馴染むものの方が良いだろうし、社会との関係性を表現する上でも、その地域においては古い街並みを維持することに社会的意義を見つけることができるだろうが、そのような場合では無い時、例えば、どこにでもある普通の住宅街ならば、馴染むだけが外観として、社会との関係性を表現することにはならず、反対に突出するという表現も社会との関係性を考えて許される表現であるはずであり、突出することにより、その建築を基点として、周辺環境に良い影響が沁み渡るような外観になったならば、それはそれで素晴らしいと考えている。

私の場合、大体、外観に関してはクライアントから要望を言われることがほとんど無く、逆に、私の方から提案して、それが採用される場合がほとんどである。

FBC6ABF8-37A2-480F-8784-A351E8BE699B.jpeg

提案する際には、馴染むと突出するを使い分けて、地域での見え方、あと、クライアントの人柄とイメージが合うようなものや、馴染む場合でも、突出する場合でも、全体全部を馴染むか突出するかに振る訳ではなくて、割合として、馴染むを多めにするか、突出するを多めにするか、バランスを考えて、大体、どちらかが微妙な、ほんの僅かな差で多くなるようにミックスして外観のデザインを決めていく。

リンク

カスタマイズできる余地余白

今日は久しぶりに過去に建てた住宅にお邪魔した。ちょっとした不具合を見に行って、その場で処置して、すぐに帰ってきたが、やはり今は、ちょっと上がってお茶でも、という感じにはならない。

私たちは何もない真っ新なところからはじめて、形にして、完成し、クライアントに引き渡す。それが住宅ならば、そこでの日常や暮らしを想像しながらつくり上げていくが、なのに一度たりとも住むことはなく、そこでの日常や暮らしを体感することもない。

だから、クライアントが羨ましい、そこでの日常や暮らしはきっと楽しいだろうなと思えるものを設計し、つくっているから。

時には、こちらの想像を超えるような暮らし方をしているクライアントもいて、たまに、これからクライアントになるかもしれない人を連れて行って説明すると、そこにリアリティを感じ、それが決め手になることがある。

建築自体のアカデミックなことはとりあえず置いておいて、クライアント目線で考えると、どうもこちらが意図したこととは違うことが行われているということは、カスタマイズしながら積極的に自分たちの日常や暮らしを送ることができると解釈するようだ。

そのようなことは当たり前ではないかと思ったりするが、どうも自分たちの家を、それも新築の家を、カスタマイズしながら住むという発想がないのか、できても模様替えレベルと思うのか、とりあえず、我慢して家に自分たちを合わせるしかないと思うのか。

その人に合わせて、その人用につくったとしても、それはその時点のもので、いくら想像力を働かさせて将来予測をしても限界がある。それを補うために、カスタマイズできる余地、余白のようなものも予め仕込んでおく。

どうもその余地、余白が、確かにあまり他では見ないから、かえってリアリティを感じ、説得力があるのかもしれない。

3523DEFA-8816-4030-BF68-A3F2F332F25F.jpeg

リンク

暮らしの中で見る方角を決める

最初の打合せで「商店街に住むのは本当は嫌なの」というクライアントの奥さんの一言がずっと設計をしている時の課題だった。

どうしたら安心してここで暮らせるか、おまけに面してる商店街の反対側は小学校の校舎の廊下であり、そのことも嫌な理由のようだ、プライバシーが侵されそうな気がするのだろう。

1,2階をテンナントに貸し出すので、住居は3階になる。その時点で商店街とは高さ方向にズレるし、小学校とも間に商店街をはさんでいるので距離がある、それは打合せでも説明したが、先の言葉である。今まで住んでいたところが住宅街の中だから、変わりように差があり過ぎるのかもしれない。

とはいえ、敷地を変更することはできないので、どうしたものかと思案して、商店街や小学校の側は方角としては南だから、明かり取りのためにも開口部は必要であるが、商店街や小学校の方角を見ること無しにほぼ暮らしが成り立てば、商店街や小学校を意識すること無しに暮らせるかもしれないと考えた。

476E9E67-9E96-442D-970B-57466E87F421.jpeg

そこで、屋上をつくり、住居がある3階とトップサイドライトを通して視覚的につなげ、そのトップサイドライトは明かり取りにもなり、お孫さんが遊びに来た時は屋上が庭がわり、そのトップサイドライトを通してお孫さんが見え、コミニケーションができるようにし、むしろ、商店街や小学校の方角とは反対にはなるが、室内空間からしてみれば、そちらの方角がメインのような扱いにし、全く商店街や小学校を意識すること無しに暮らせるようにした。

4EC853A1-1F69-4F03-8A79-50679F7C2D03.jpeg

1228F824-5ECD-435F-9EA9-F8D756A9F053.jpeg

もちろん、クライアントの奥さんは毎日熟睡している。

550B363D-E9EC-42FB-B70A-CA08A1BE0766.jpeg

リンク

可動間仕切りがもたらす暮らし

可動間仕切りをよく使う。大体、そういう時は、クライアントがどういう日常を送りたいか、どういう暮らしをしたいかがはっきりしており、それに対応するために部屋の方を変化させる。

449D0BB9-AED8-4870-BAF6-945A05005B8D.jpeg

一般的には、可動間仕切りを使う時は、可変することにより、どのような部屋の使われ方をしても構わないように、より曖昧で、はっきりと決められない場合である。だから、可動間仕切りを設置することは一種の設計の手抜きのような印象があるかもしれない。

しかし、きちんとクライアントの日常や暮らしを把握した上で設置する可動間仕切りは、クライアントの要望がいくつも折り重なって1つの部屋に表現されている証しであり、より濃く、より深く、限られたスペースの中で日常や暮らしを送るための手段である。

リンク

階段×洗面

階段の構造は、足をのせる段板があり、その段板を支える側板があれば最低限成り立つ。洗面の構造は、洗面器をはめ込む天板があり、その天板を支える脚があれば最低限成り立つ。

共通するのは板であり、階段の段板と洗面の天板は水平であることも共通する。

ただ、階段と洗面は、全く関係がない機能同士である。

少しでも効率よく水回りをまとめたい、それも階段下のスペースが空いているが、そこに壁をつくり部屋にしてしまうと狭くなるし、せっかくの階段の開放性が損なわれてしまう。

ならば、階段と洗面の共通点を頼りに、階段の段板が延びて洗面の天板となり、そこに洗面器を設置し、洗面周りの小物を置く場所として、同じく階段の段板が少しだけ延びて棚状になり、そこに家族分の歯ブラシなどを置くようにした。

CF4BC373-7C8B-4DC2-9FA4-FE3703A1AF2F.jpeg

クライアントの本来の要望はこの階段に滑り台をつくりたいだった。その要望通りに、さらに、洗面の機能を加えた、階段×洗面×滑り台が完成した。

2D632052-4B26-41E3-B2AA-352236038CFE.jpeg

きっと朝などは大忙しだろう、この階段×滑り台×洗面によって、より家族の営みをお互いに感じることとなり、そうしたら、朝がより家族にとって楽しめるでしょ。

リンク

家の中に家でもない場所をつくる

会社でもない、家でもない場所、別に会社にいたくない訳ではなくて、別に家に帰りたくない訳でもなくて、ただ、会社か家かという2つに1つ、二者択一的な生活はずっと続くとちょっとぐらいの変化を求めたくなるかもしれない。

それは決して悪いことではないけれど、こうするべき的な思いにとりつかれると、まっすぐ家に帰ろう、寄り道なんてせず、となると日々の生活が不自由なものに感じられるようになってくるかもしれない。

要領のいい人は行きつけの飲食店などを見つけて、顔馴染みになり、会社の人でもない、家族でもない、友達でもない、そんな人のつながりをつくり、上手に気持ちを受け流し整理して、家路につくのだろうが、なかなかそれもできない人が多そうな気がする。

9F1BE24B-EFFF-4615-9432-4DBF5ABB1C8D.jpeg

だから、ちょっと家の中に、家でもないような場所をつくり、ひとりになれる時間をつくってあげることができたら、少しは違うのかなという想いから、離れをつくったり、部屋ではないが廊下にしては広いような場所をつくり、そこが街の中の広場や通りのような雰囲気をかもし出せば、家の中で気分も切り替り、家族との時間もより楽しめるのではと思ったりして設計した。

リンク

日当たりが厳しい時の対処法は別々にすること

暗い家よりは明るい家の方がいいですよね、暗い家にして欲しいという要望は今までに聴いたことがないです。明るい家にして欲しいという要望もあまりないというか、「明るい家になりますか」という問いかけは何度かありました。

奥に引っ込んだような敷地で、その分静かだけれども、周りを建物に囲まれていて太陽の光が入ってこないかもしれないという心配から。

そういう時はいつも決まって「日当たりはどうにでもなります」と答える。

確かに、敷地の周りを四方建物に囲まれていて、しかも狭小地ともなれば日当たりは厳しいので、よくあるのは日当たりが欲しい部屋、例えばリビングダイニングを2階に持ってきて、日当たりがあまり関係がない部屋、例えば寝室、水回りなどを1階に持ってくるというもの。

ただ、1階はせっかく外の庭などの外部空間と内部空間を連続させることにより広く感じさせることができるので、狭小地に建つ家ならば、尚更、1階にリビングダイニングを持ってきて広く感じさせたいだろう。

そこで、日当たりが厳しい時の対処法は、太陽の光を入れることと部屋を明るくすることを別々に行えばよい。

狭小地で周りを建物に囲まれていたら、太陽の光が1階まで差し込む時間は、季節にもよりますが、1日のうちで多くても3時間くらい、これでは太陽からの直接光だけで1階を明るくするのは不可能です。ただ、2階だと1日中太陽からの直接光で部屋を明るくすることができます。

だから、そういう時は階段を利用して、1階の部屋を明るくする。階段を1階から2階までの吹き抜けだと考え、階段室という部屋に見立てて、2階から太陽の直接光を階段室に放り込み、階段室の中を光が反射し拡散して、1階の部屋まで太陽の光を届ける。

A4CFDB4B-4723-4D85-B85C-9EFD5BCB2F28.jpeg

その際、階段室と1階の部屋との境の壁は必ず半透明の壁にして、光を通すことが必要になる。これによって、昼間は半透明の壁が光っているようにも見えて、部屋を明るくする。2階からは1日中太陽の光が階段室に供給されので、1階の部屋も1日中明るくすることができ、入ってくる火は間接光になるので、熱をほとんど1階の部屋には伝えないから、夏などは明るくても暑くはならない。

リンク


家は遊び場、家は遊具

建物が完成してクライアントに引き渡す時、大概、お子さんが走り回っている。子供にしてみれば家は遊び場、家は遊具なんだなと思う瞬間です。

そんな姿を何度も見ているので、設計している時からクライアントのお子さんに合わせて、それは結構クライアントには内緒で、勝手に盛り込んでいたりする場合もありますが、遊具となるような仕掛けを考えている。

子供の頃の記憶にはよくその当時住んでいた家の情景が入り込んできて、その時の体験と一緒に焼き付いています。きっとお子さんが成長していく上で家が果たす役割ははかりしれないと、結構、その後の成長や人生に影響を与えるのではないかなと思っています。

だから、ほんのちょっとなことなのですが、そこに腰掛けて本を読んだり、皆んなが見渡せるような所をつくったり、扉を開けると視界が開けて、その先にチラッと見える家族を感じたり。

クライアントのために離れをつくったことがあります。離れといっても別の建物になっている訳ではなくて、ひとつの屋根の下にテラスからしか出入りができない3帖くらいの部屋、茶室くらいの広さです、ほんとに狭い、でも、クライアントがひとりになれる部屋をつくりました。

BD48F547-5899-4810-BE32-BA68CA7E7897.jpeg

ただ、その部屋は、出入りはテラスから一旦外に出る必要があるのですが、室内に向かって2つの窓があり、開けると1つはリビング、1つは寝室につながっていて、そんなに勝手にひとりにはなれないようにしてあり、結局はひとりいながら、ちょっと寂しくなるとどちらかの扉を開ければ、家族と、お子さんとつながることができるようにしました。

495D535D-E5AE-4250-8E74-806B92F73F02.jpeg

それは、大人にとっても家は遊び場、家は遊具で、子供の頃の家の原体験の延長に今の家があり、ただ大人になって求めるものは子供の頃の家ではなくて、今の自分が満たされるためのもの、それはお子さんを見ているとわかります、お子さんは親の真似をしますので、だから、打合せではお子さんをよく観察して、クライアントにたくさん尋ねます。

47A3021D-DAAD-448C-BD9A-1489E8205060.jpeg

9917BFB3-F6D2-421F-B5A0-1174344B1E91.jpeg

リンク

省スペース化が生む階段の効果

敷地に建てれるだけ目一杯に建物を建ててしまうと、どうしても満足に庭が取れないし、防犯のことも考えて、子供を遊ばせたり、洗濯物を干すために、屋上が欲しいという要望がクライアントから出ることがよくある。

子供の頃、屋上のある家に住みたいと思ったものです。なぜか高いところに上がるとテンションも上がるし、遠くまで見渡せるのは気持ちがいい。そういえば、学校の屋上へ行くのも好きだった。屋上へ出る扉を開ける瞬間がなんかワクワクしたことを覚えている。

屋上へ通じる階段は、自治体や確認検査機関の判断にもよりますが、建築基準法の住宅の階段の規定を受けないので、省スペース化させるために、急な階段にすることもある。

ただ、階段は廊下と同じように通路なので、人が通る場所として常に空けておく必要がある。廊下ならば、廊下も部屋という考え方をすれば無くすこともできますが、階段はそうはいかない、どうしても場所を占領してしまう。階段下の空間を便所や収納にすることもありますが、今回は2階を大きなワンルームとして、そこを必要に応じて可動間仕切りで仕切り、個室をつくるというプランなので、階段はできるだけ省スペースに、それも視線を遮らないようにして、クライアントの希望である大きなワンルームであることを邪魔したくはなかった。

B0E4BC46-AEC1-4565-A507-1131EF2F1AF1.jpeg

だから、段違い階段にし、段板のみで構成することにした。段違い階段とは、段板が右、左と半段ずつズレて設置されており、人の足の動作に沿った段板の位置になっているもので、階段をより省スペース化できるのですが、自治体や確認検査機関の判断にもよりますが、建築基準法の住宅の階段としては認められていない。今回は屋上へ通じる階段でしたが、一応、事前に確認検査機関へ相談し了解を取り実現しました。

0B5E510E-52C9-41B1-A118-EF571D2F2512.jpeg

この階段ならば、透け透けで、屋上へ出る扉をガラス扉にしたので、太陽の光が屋上から拡散されて2階の空間にまで降りてきて明るくしてくれますし、階段の存在感自体もより無い方向に、視線もなるべく遮らないように、クライアントの望むワンルーム感が出て、不思議なことに階段が造付けの家具のように見えなくもない。

D35CE0D8-0D44-47F4-A4B4-23283B556922.jpeg

リンク

それが最善の設計プロセス

時には建築でも1本の木からはじまることもある。

クライアントとの初回打合せでは、要望を一通り傾聴し、何でもいいから話をしてもらおうとする。様々な問いかけをしたり、ご自宅にお伺いしたならば、室内にあるものに関心を持って尋ねたり、思い入れやこれだけは絶対のようなことも、特にマニュアルがある訳でもなく、その場の即興で、事前に準備もしないようにしている。

何かが情報として事前に頭に入っていると、自分にとって都合がよい言葉や話をクライアントから引き出そうとしてしまい、本来そこでしか聴くことができなかったことに辿り着けないような気がするからで、その場で聴きたいのはクライアントが本当に欲している心の声、それがわからなければ打合せをしている意味がなく、時間のムダで、メールやメッセージでやり取りすれば事足りる。

不思議なことを突然クライアントが言い出した。
「この木は父親が亡くなってから突然生えてきたのです」
「だから、建て替えする時にこの木は切らないで欲しい」

だだ、古い家を解体する時にその木が邪魔になり、解体業者が勝手に敷地の北西の角に植え替えてしまった、こちらが全く意図しない場所に。だから、その木をまた移動することもできた。でも、しなかった。

BDCDD905-5806-4AB9-8BF3-9E1313B11044.jpeg

突然生えてきて、また意図しない場所に移動して、その状況をそのまま活かして設計することがクライアントが欲していることではないか、その木に父親を重ね合わせているのがわかった。

木を活かすならば、その木がある場所を庭として、外に出られる場所とし、室内の空間と連続させたい、その空間はリビングやダイニングなどの家族が集まる所で、その空間のどこからでもその木が見えるようにしてあげたかった。

8D5386D7-1CFA-4E87-A270-EFE79FD19CD9.jpeg

料理をしてキッチンに立っている時も顔を上げると視線の先にはその木が見え、ダイニングからリビング、リビングからダイニングへと移動する時もその木が自然と視界に入るように。

20D79CB4-0983-486C-9767-1E95544838F5.jpeg

その木から派生して空間の用途を順に決めていった、普通はそのようなことをしないが、この住宅ではそれが最善の設計プロセスだと考え、そして、そのように実現した。

E3D984A7-22EA-443F-A7D7-98E79FF4712A.jpeg

リンク

階段はひとつの見せ場

建築の部位の中で階段は面白い存在であり、設計する時の腕の見せ所でもある。

建築家の村野藤吾は階段そのものを如何に美しく魅せるのかを突き詰めているようであり、その曲線の優雅さは一度見たら忘れられない。また、フィンランドの建築家のアルヴァ・アアルトは階段に機能的な端正さを出しながら、素材に木や鉄や煉瓦などを使い、自然な柔らかさを纏わせ、北欧モダンの空間にナチュラルに馴染ませていく。

いずれも階段をひとつの見せ場だと考えていたのだろう。それは普通に住宅でも同じであり、日常の暮らしの中で階段に様々な役割や活用の仕方や魅せ方をさせる。

空間の広さにはどうしても限界があり、効率的に広さを有効活用しようとして、時に階段の下に便所を配置したりする。便所は腰掛ける所であり、また法規上は居室ではないので、天井の高さに規定がないこともあり、天井が段々と低くなる階段下の空間を有効活用する際にはもってこいである。

ただ、便所にいる時でさえ、それは日常の暮らしの大事な時間でもあるので、いかに心地よく過ごせるかをデザインで考えたいところで、また階段下にあることを何かに活かしたいと考えた。

階段には「蹴上げ」という部分がある。段板と段板をつなぐ縦の部材で板状のものだが、階段のデザインによっては無い場合もあるが、階段下の空間を利用する場合には必要になる。

蹴上げがある場合、通常は板で塞がれているが、そこに乳白色の「ツインカーボ」という名の二重のポリカーボネート板を嵌め込んだ。この板は光を通すが、乳白色で二重になっているので、中は見えない。

3F458E2C-7C8E-4222-B02B-3C3A286188A8.jpeg

便所という暗くて狭いイメージの空間に明るさを取り入れたかった。あと、階段という動線の下にあるので、階段を通る人の動きと便所を関連づけしたかった。

昼間は階段に差し込んだ太陽の光が蹴上げの乳白色のポリカーボネート板を透して便所の中まで柔らかく入ってくる。逆に、夜間は便所の照明の灯りが階段の足元灯の役目をするので、便所の灯りだけを頼りに階段の昇り降りもできる。

9E9BC59D-E91E-4E0D-BAD0-8590D4CD31B3.jpeg

階段とその下の便所の相互関係をデザインし、便所に入り込んでくる太陽の光はその日の天気をも反映する。階段という存在が日常の暮らしの中で様々な事柄をつなぐ役目をする。そのつなぐ役目にはまたまだたくさんある。

リンク

収納家具の軌跡が部屋になる

将来予測をして、なるべく不用な個室はつくりたくないと考え、そもそも広さに限界がある場合にはできるだけ細かく部屋を区切りたくはなく、大きく空間を使う方が広く感じる。

ただ、そうすると、どうしても部屋を分けたい時に困る。例えば、お子さんが男女の組合せの場合は、ある程度の年齢になったら部屋を分けたいが、小さな時は別々に部屋にこもられるのも親としては心配だから、一緒の部屋の方がよく、ところが大人になってもずっと家にいる訳ではないから、部屋を分けた後に大人になって家を出たら、残った部屋は物置きになるケースも考えられる。物置きならまだいいが、単に空き部屋になったら勿体ない。

それは2世帯住宅の2階でのこと、息子さんが将来結婚した時用の空間を用意することになった。

ただ、まだ予定がない、そこで、洗面所と便所を1つの箱状の空間に納め、それだけを固定にし、あとは移動できる同じく箱状の収納家具をいくつか用意した。

9AEA639B-FEFF-4750-8954-3735257D0BDE.jpeg

それ以外は小屋裏収納と壁一面の収納のみで何もない、間仕切り壁のない広い空間だけをつくり、移動できる箱状の収納家具を使って、部屋を2つに分けたり、その場合は想定して出入り口の扉を2つあらかじめつくったが、他にも、その移動できる箱状の収納家具の置く位置によっては、寝室コーナーなどのプライベートスペースをつくり、残りは団欒スペースにするなど、その時の必要に応じて、可変できる空間とした。

F8714D49-96CB-44B2-81B4-55268D219BD3.jpeg

箱状の収納家具を置く位置もある程度何通りも想定して、それに合うように箱状の収納家具の大きさも決めていったが、今伺うと想定外のところに置かれていて、その意外性が面白くて、収納家具は中身を入れたまま移動できるので、模様替えも楽に楽しめるのだろう。

BB2E2F44-7C8E-493A-B2F8-A66D56F4E6B8.jpeg

C2FC6B82-7C09-4341-AE99-626CC27969C1.jpeg

リンク

細長いお風呂場でリビングとつながる

そういうこともありますよね、それもありですよね、ポイントを押さえれば案外いろいろな考え方ができそうで、ただ、ポイントを外すと単なるデタラメになってしまう。

足を伸ばして湯船に浸かりたい、普通にそう思いますよね、そうなると体を洗う洗い場も欲しい、当たり前ですよね、ただ、できる限り広いリビングやダイニングも欲しくて、そこで家族と一緒に過ごしたい、大体、住宅全体の広さは敷地の大きさで決まるので、はじめに数値でわかる。

だから、広さとか狭さを数値でいっても意味がなくて、敷地が急に広がらない限り変わらないので、数値ではなくて、広く感じるのか、狭く感じるのかの感覚で考えていく。ただ、感覚的なことは人による違いが大きいので、自分の感覚を押し付けるようなことはせずに、当たり前だが自分の感覚で設計はせずに、そこに理屈があり、あとはクライアントの感覚に合わせていく。

最大限リビングやダイニングの広さを確保するために、お風呂場をコンパクトに、それもただコンパクトにするだけでなく、お風呂場の形状もリビングやダイニングの広さを確保するために細長くし、それで足を伸ばして湯船に浸かり、体を洗うのにも支障がなく、クライアントは狭く感じない。

6D1BE764-2253-4BE6-B6C9-E7E6DEAA9A31.jpeg

ちなみに、横に細長い窓の先はリビング、湯船に浸かりながらも、リビングともつながるように。

リンク

建ち方で変わることがある

きっとこう建って欲しいのだろうなとおもんばかることも必要だと思う。

広い土地が相続によって小さく分割され、何ヶ月後かにいくつもの建売住宅が出現し、それまでの街並みが変わることがよくある。前の風景を知っている者にとってはその変わりように違和感を覚えるが、なぜ違和感を覚えるかというと、不自然な建ち方をしているからである。

当然、事業なので、建売住宅を建てるために、広い土地を少しでも効率よく分割して、より多くの建売住宅を建てようとする。だから、そこでどのように建ったら、人同士の交流が生まれ、周りの環境とも馴染みが良いかという意識そのものが無いので、周りからしたら不自然に見える。

クライアントのお母さんが住んでいた土地を分割し、兄妹で2棟の二世帯住宅を建てる計画があった。土地を分割するところから設計をしていったのだが、お母さんからの条件が道路に対して手前と奥という土地の分割の仕方はしないで欲しい要望があった。奥になった方が不利になると考えたようだ、あくまでも兄妹でなるべく差が出ないような分割の仕方を望んでいるように感じた。

だから道路に対して、手前と奥では無くて、右と左という分割の仕方にした。ただ、そうすると土地の形が不自然に長辺が長い長方形になってしまう。

701CD6D3-38D6-4B24-AEB3-76557A7772AF.jpeg

ならば、それを利点として、2棟の住宅の間に共用の長い通路を取り、お互いにその通路に面して玄関を設けて、日常の暮らしの中で自然と行き来したり、交流したり、お互いのリビングにある窓も高さを半階ずらして配置し、視線が交差することは無いが、お互いの賑わいや存在が何となくわかるようにした。

4505F7D0-C350-4A94-AA91-5256960CC069.jpeg

それは敷地内の親族同士の交流だが、その交流が自然と周辺環境にも伝播して、何気に人が立ち止まって話込んでいるのをよく見るようになった。

39F8C1D2-EF1B-477B-97F4-D248D424820F.jpeg

F8E8A0C0-1E6B-4ECE-9F36-8EEF1132D0A7.jpeg

リンク

見えそうで見えない距離感が暮らしに必要な時もある

別々にいるのが嫌なのだろうと思った。

最初の打合せで敷地図を見せてもらうと、敷地の形状がほぼ真四角に近かったので、一瞬、コルビュジエの「成長する美術館」が頭に浮かんだ。コルビュジエは3つの美術館を設計し、そのうちの2つがインドにあり、あと1つが世界遺産にもなった上野の国立西洋美術館である。プランは3つともほとんど同じで、真四角の建物の中心部分にエントランスがあり、そこから2階の展示室へ階段でアプローチしていく。展示室は真四角の建物の中を渦巻状に回遊するように配置されており、仕切りがなく展示するための壁が連続しているので、閲覧する方は建物の中を一筆書きに一回りするだけでいい。

打合せでは家族の普段の生活や行動を、特に家にいる時のお互いの距離感を測ろうとつとめる。それは、その距離感がそのままプランに変換できる場合が多いからである。

お話を伺うとクライアントのご主人も奥さんもそれぞれ違う趣味を持っており、休日など家にいてもお互い別々の場所で別々のことをしているらしい。それ自体は普通にあることだし、ではそのお互いの趣味が成り立つように空間を設計すればいいだけだが、問題はその距離感であり、もっというと、その距離感がいつでも同じということだった。

建て替えだから同じ敷地なのだが、それまで住んでいた家は増改築を繰り返したせいか、壁が不自然なところにあり、別々な趣味をするための場所が近くてお互いに干渉していた。そのため、どちらかが先にその場所にいると片方は自分の趣味ができないようだった。

普通ならば、全く違う場所で自分の趣味ができるようにすればいいだろうにと思いのだが、それはしないらしい。要するに、家族がそれぞれ別々なことをしていても同じ空間の中に一緒にいたいのだろうと考えた。

同じ空間の中だが、お互いに干渉することになし自分の趣味ができて、必要な時にはその距離感を縮めて一緒にいることもできるような、お互いの距離感が調整できて、一番離れている時は姿形は見えないが、気配だけは感じるような空間をつくろうとした。

敷地の形状なりに設計すると、ほぼ真四角の建物になるので、真四角の真ん中に2階へ上がる階段を配置して、1階をその階段を中心にキッチン、ダイニング、リビング、玄関と配置して、ぐるぐると回遊できるようにし、お互いの距離感を自由に調整できるようにした。

57782978-4D25-4719-9ED1-2295FC18FB1C.jpeg

その距離感の調整に一役買ったのが真四角の中心に配置した階段である。階段と1階の空間は透明のアクリル板で空調の仕切りをつくったが、場所によって階段の下の部分の壁の高さが違うので、階段越しにお互いが見える範囲も違ってきて、同じ空間にいながら、お互いが見える見えないの調整が少し移動するだけで容易にでき、一番見えないところでも気配はお互い感じることができる。

だから、空間の使い方しだいでお互いの距離感を自由に設定できるので、何年か毎に少し模様替えするだけで、全く違った空間体験もできるだろう。

7D99A41C-8B72-4274-A678-A218928F50FB.jpeg

225B3F5A-108B-4196-90DC-2F05B3D85CF1.jpeg

F289A593-F5E4-407F-8DE9-8FBB6702C2C7.jpeg

A99A0E1E-57E2-4D8C-B41A-90211A6AD250.jpeg

2282FBAE-BFAC-47CF-8FAE-AFA729C97474.jpeg

リンク

暮らしの中で欲しいが空間になる

よくその人だけの居場所をつくったりする。そういう場合は大抵クライアントからの直接的な要望ではなくて、お会いしていろいろとお話を伺う中で頭の中に急に浮かんできたりする。家と人をつなげたいというか、そういう居場所があってはじめて自分の家だと思うような気がしているから。

お子さんがまだ赤ちゃんの時から将来この子に勉強を教えるのが楽しみですと雑談の中で語っていた。たぶんその時はダイニングテーブルで子供が学校の宿題や勉強をしている横で、自分は本でも読みながら、子供の勉強を見るようなイメージだったと思う。

クライアントも本を読むのが好きで、ただ書斎をつくる程のスペースは取れなかった。そこで各個室に行く廊下を少し広げ、そこに本棚と長机を造り付けにしスタディスペースとして、書斎とお子さんもそこで一緒に勉強をする場所とした。

そもそも機能上は廊下だから家族みんなが通る。だから、そこで本を読んだり勉強をしていても、部屋に籠るのとは違って、家族がお互いに何をしているのがわかり、それでいて自分の居場所でもある。

クライアントとの雑談の中で、形として明確ではないけれど、これからの暮らしの中で欲しいのはこのようなスタディスペースではないだろうかと思い、提案し実現した。

D7EEA784-AF02-4A96-8722-6486CBB310B8.jpeg

リンク

敷地いっぱいが住環境スペースになるように

隣の家とのすき間はなんとかならないか、中途半端に空いていて、敷地が広ければいいが、狭い敷地だったら勿体ないし利用したいとずっと思っていた。

ちなみに、民法上は境界線から50cmは空けなければならない、だから、必ずすき間ができる。

もちろん、そのすき間が無ければ、作業スペースが取れないから家自体を建てることができない。ただ、そのすき間がもっと狭くても、50cm未満でも建てようとすればできなくもない。

旗竿状の敷地というのがある。敷地の形状を上から見たら竿にたなびく旗のように見えるからそう呼ばれる。敷地というのは建築基準法上、道路に2m以上は接していなければならないと決められている。だから、道路に2m以上接していない敷地には法律上、家を建てることができない。

旗竿状の敷地は竿の部分の巾が2mで、そのままの巾で道路に接していることが多く、これは大きさな敷地を道路に対して手前と奥で分割する際に、奥の敷地に法律上、家を建てることができるようにするための苦肉の策である。そして、その竿の部分には巾が狭すぎるため建物を建てることはほとんどしない、大体、車や自転車の置き場所になり、建物を建てるのは敷地の旗の部分になる。

その竿の部分が20m以上ある旗竿状の敷地が住宅の計画地になった。敷地面積には当然、竿の部分の面積も含まれるから、竿の部分が長くなればなるほど、建物を建てる旗の部分の敷地面積が狭くなり、竿の部分が20m以上もあれば、旗の部分は狭小地と呼べるくらいに狭い。

クライアントの要望はただ1つ「家の周りにメンテナンス用のスペースを取って欲しい」だった。建て替えだったが前の家では家の周りのスペースが狭すぎてメンテナンスに苦労したようだ。

敷地の旗の部分がただでさえ狭いのに、メンテナンス用のスペースを取ったら、余計に狭くなり、家自体も狭くなる。だから、家の周りのメンテナンス用のスペースをなるべく小さく狭くして、家自体の広さを確保することを考える、これが常套集団だろう。

ただ、それではメンテナンスという、家が建っている間に何回も必要にはならないことのためにスペースを空けておくのは勿体ないし、もっと積極的にクライアントの要望に応えたかった。

だから、家の周り四周に、民法上必要なスペースの倍の巾のスペースを取り、それはクライアントの要望のメンテナンス用のスペースとしては余りあるぐらいの広さであり、そして、その家の周り四周にウッドデッキを敷き、その高さは1階の室内の床の高さと同じにして、1階にあるリビングダイニングスペースが敷地いっぱいまで広がっているような感覚をつくり出し、敷地の狭さ、家の狭さを視覚的にも和らげようとし、尚且つ、積極的に敷地いっぱいを住環境スペースとして利用することを試みた。

2206DA81-3E97-4055-A50B-30ABFEF3233B.jpeg

リンク

光はどこまでも深く差し込む

真上から光が差し込んでキラキラと波打つ水面に辿り着くまで、階段を何段も降りていく。それはストリートレベルから地下鉄の入り口のような階段を降りて行った一番深いところに緑色の水面がある。

インドの階段井戸の話である。井戸の水面は地中の深いところにあるが、その水面まで地上から真っ直ぐの階段で降りていけるようになっている。地中の深いところにあるから水面の辺りは暗いと思っていたが、水面の真上は真っ直ぐ地上までつながっていて、トップライトのように光が井戸の側壁に反射しながら降り注いでいて結構明るい。

ちなみに、トップライトとは天井に開いている明かり取りの窓のことだが、壁に開いている窓と比べて3倍の光量がある。だから、同じ大きさの窓ならば、壁よりも天井にあった方が空間を3倍明るくする。

「昼間に電気をつけないで生活がしたい」

それがクライアントの奥さんの要望だった。しかも、家族が集まり、奥さんが1日のうちで1番居る場所であるキッチン、ダイニング、リビングは1階にしたいという要望もあった。

その敷地は周りを建物に囲まれていて、狭くはないが、太陽の光が1階に差し込む時間帯はわずかであった。昼間はずっと電気をつけなくてもよい明るさが求められていたが、仮に吹抜けを設けて、2階の天井にトップライトを設置し、1階まで光が差し込むようにしたくても、そうすると、2階に必要な部屋が必要な大きさで取れない。

吹抜けをつくらずに、それでも1階まで光を落としてこなくてはいけない、床が邪魔をする、ならば、光を通す床にすれば良い。

1階のダイニングテーブルの真上、そこは2階の廊下の床であり、ガラスの床であり、その真上にトップライトがある。1階のダイニングテーブルから見上げると空が見える。

98C41DE9-C2E2-4E2E-809F-010226B0E920.jpeg

リンク

家族だから個室はいらない

お互いに別々なことをしていて、それは同じ時間帯に、同じ空間で、それが当たり前の家族は結構多くて、今まで携わってきた住宅のクライアントにも結構多くて、ただ、家族だから個室に篭って別々になるのは避けたという話は打合せでよく出る。

「だから個室はいらない」

「でも完全にオープンにはできない、娘二人だから」

ある住宅のクライアントから出た要望で、3LDKとか、4LDKなどのプランに慣れ親しんだ人には、空間的に矛盾をしていることになるだろう。

従来のnLDKのプランでは、個人の空間をつくるためには壁で囲うという発想だった。それが必要無いとなると発想を全く変えるしかない。ちなみに、声や物音がしても、気配を感じても良いそうだ。

ならば、個人の空間をつくるということではなくて、必要な時に隠れることができる場所、すなわち、死角をつくり出すことができれば良いのではないかと考えた。

1階全部をキッチンやリビング、ダイニングスペースと水回りに当て、2階の壁を全部無くして、全て可動間仕切りにし、可動間仕切りを全て閉めれば4つのスペースに区切られるが、開け放しても可動間仕切りの扉が残るので隠れるための死角ができる。

それが、個室はいらないが、完全にオープンにはできない空間への提案であり、採用され実現した。

FFB6C6DC-FC25-401E-918B-CBFD0BAE5D44.jpeg

リンク

最初のイメージが道しるべになる

どこに居ても気配を感じるように、壁で仕切られた場所はあるが、移動すれば必ずどこにいても気配を感じる。つながりたくなれば扉を開ければよい、お互いに顔が見えるし、何をしているのかわかる。それぞれの場所でそれぞれが違うことをしていても、何かがつながっている。

これは前に設計した住宅の構想段階で、クライアントの話を聴きながら、頭の中で思い浮かべたこと。

家族が好きなように好きなことをして好きな場所にいるのだけれども、ひとつ屋根の下でチラッと見えたり、音が聞こえたり、足音に気づいたり、もちろん一緒に居れば、様々な空間のつながりから、光や風が人に優しく届く。

きっとクライアントの家族がみんな家に居るのが好きだったので、ならば家の中にたくさんの居場所をつくり出し、その居場所はお互いにちょっとずつ空間的なつながりがあるから、その都度好きな居場所を選んでも、お互いにお互いを感じられる、そういう住宅をつくろうした。

具体的なプランに入る前のこういう漠然としたイメージが最後の完成へと導く道しるべになる。

30B83CF0-84CA-4310-96EF-E58D522943FF.jpeg

"The first image becomes a guide"

There are places that are partitioned by walls so that you can feel the sign wherever you are, but when you move, you will always feel the sign. If you want to be connected, just open the door, you can see each other's faces and you can see what you are doing. Something is connected even though each place does different things.

This was the idea of ​​the house I designed earlier, which I had in mind while listening to the client.

They do what they want and do whatever they want, but they can see a glimpse under one roof, hear a sound, notice footsteps, and of course, various spaces if they are together. Because of the connection, light and wind reach people gently.

I'm sure that all the client's families loved staying at home, so I created a lot of places in the house, and those places have a little spatial connection with each other, so I choose the place I like each time. But I tried to make such a house where we can feel each other.

Such a vague image before entering a concrete plan is a guide to the final completion.

リンク

まず王道、定番へいく

建築物の大きさの限界は敷地の大きさで決まる。広い敷地には大きな建築物が建ち、狭い敷地には小さな建築物が建つ。それは当たり前のことだが、建築物の大きさの違いの意味はこれだけであり、大きさの違いが建築物そのものの優劣を示すものでは無い。

どこに建つか、都心であろうと、郊外であろうと、地方であろうと、山や海に近くても、それは建築物の建つ場所がどこかを選ぶだけのことであり、建つ場所で建築物そのものの優劣は決まらない。

建築物を建てる予算が有ろうが無かろうが、できあがるのは建築物であるのだがら、予算の有る無しが建築物そのもの優劣には直接関係が無い。

そうやって、ひとつひとつ紐解いていくと、まだまだ解き明かしていくことはたくさんあるが、クライアントにとっての王道、定番となる建築物が出現してくる。

8384E01E-9F3B-4725-91C4-6B372F9B5E65.jpeg

"First, go to the classic road"

The size limit of a building is determined by the size of the site. Large buildings are built on large sites, and small buildings are built on narrow sites. That is obvious, but this is the only meaning of the difference in the size of the building, and the difference in size does not indicate the superiority or inferiority of the building itself.

No matter where you build it, in the city, in the suburbs, in the rural areas, or near mountains or the sea, it just means you choose where to build the building, and the building itself The superiority or inferiority is not decided.

Whether or not there is a budget to build a building, but the result is a building, but without a budget, there is no direct relation to the superiority or inferiority of the building itself.

By unraveling each one in this way, there are still many things to unravel, but a royal road for clients, a classic building will emerge.

リンク

暮らしがどのくらい変わるのか

暮らしが変わるのだろうか、大きく変わるという人もいて、今まで変えようとして変えることができなかったこと、リモートワークや電子認証などのデジタル変革がたった2ヵ月で起こり、働き方改革も一気に進むから、東京から地方へ、多拠点生活に、都市生活を補完するような地方暮らしをする人が増えるという見方がある一方で、世界的には来年には今年起こったこと、新型コロナ渦は無かったことになるだろうという人もいるし、今この混乱期にいち早く動いて、周りが止まっている間にシェアを拡大した大企業もある。

全く暮らしが変わらないということは今さら無いだろうが、どのくらい変わるのか。時代を振り子に例える人は、大きく揺れれば、振幅は大きくなり、小さければ、振幅も小さいという。

今回の新型コロナが及ぼした影響は、たくさんの死者を出し、経済的にも大きなダメージをもたらしたので、とても甚大ではあったが、暮らしに関しては巣篭もりするという、今も続く初めての経験をしていても、そのための手段はリモートワークにしても、今までSkypeやテレビ電話で行ってはいたし、日用品の配送はAmazonフレッシュ、フードデリバリーはUber Eatsなど既存のサービスを使うことで解決でき、なかなか思うように外出できないなどの不自由な思いをしながらも、慣れてくれば以前とさほど変わらず、むしろ新たな発見や試みにより、今回の新型コロナ渦を暮らしの精度を上げるために利用している人さえもいて、影響と被害は甚大だが、暮らしに対する振り子の振れ幅は小さく済んでいるような気がする。

だから今は、暮らしが大きく変わるようには思えず、ウィズコロナ用の対策がワクチンができるまでプラスされ、その期間が長く続くというぐらいの変わりようなのかなと思ってしまう。

0938FD18-84C6-4621-AF67-9FC967260321.jpeg

"How much will life change?"

Some people will change their lifestyles, and it will change drastically.Because they could not change it until now, digital transformation such as remote work and electronic authentication will occur in just two months, and work style reform will progress at once. While there is a view that more people will live in rural areas that complement urban life from Tokyo to rural areas, there is no new corona whirlpool next year next year. Some would say this would be the case, and some large companies have been quick to move into this turmoil and have increased their shares while the environment has stopped.

It's unlikely that your life will change at all, but how much will it change? People who compare the times to pendulums say that if it shakes greatly, the amplitude will increase, and if it is small, the amplitude will be small.

The impact of the new Corona this time caused a lot of deaths and caused great financial damage, so it was extremely huge, but I had a bird's-eye-like experience in my life. However, even if remote work is used as a means for that, I have been using Skype or videophone until now, I can solve the problem by using existing services such as Amazon Fresh for daily necessities and Uber Eats for food delivery, which is quite easy. Even though I feel like I can not go out as I want, if I get used to it, it does not change much as before, but rather by new discoveries and trials, I am using this new corona vortex to improve the accuracy of life There are even some people, and the impact and damage are great, but I feel that the swing range of the pendulum with respect to life is small.

So now, I don't think my life will change significantly, and I wonder if the measures for Wiscorona will be added until a vaccine can be made, and that period will last for a long time.

リンク

機能性が高い詰め込み過ぎの暮らしでは

家にいる時間が長いと、いつもよりやることが決まってきてパターン化してくるから、段々と何事もムダなく、効率的に行うようになり、本来ならば、そこに変化を加えたくて外に出たくなるのだが、それもままならないから、余計に効率的で機能性が高い暮らしになっていくが、それがかえってストレスや飽きにつながるような気がする。

だから、ちょっと緩く、主に時間にゆとりを持たせて、
どうせ仕事は思うようには進まないから、すき間が生まれるようにすると、なぜか勿体ないような気がして、今度は余計なことをしてしまう。

何かをたくさん詰め込んで効率的で機能性が高いことは良いが、本来何がしたかったのかがわからなくなってしまう。

本当はもっと日常や暮らしを楽しみたいのだが、時間に追われる羽目にならないようにする術が今ほしい。

F464391A-C9E3-4CB7-A64A-EAED8A6A4AF2.jpeg

"In a highly packed life with high functionality"

If you stay at home for a long time, you will have to decide what to do more than usual and it will become a pattern, so you will be able to do things gradually and efficiently, and if you want to make changes there, outside I want to get out of it, but I can't do that anymore, so I'm living a more efficient and highly functional life, but I feel that it leads to stress and tiredness.

So, let's relax a little, mainly to allow time
I can't do my job anyway, so if I try to create a gap, I feel like it's wasteful for some reason, and I'm doing extra things this time.

It's good that it's packed with a lot of things and efficient and highly functional, but you don't know what you originally wanted to do.

I really want to enjoy my daily life and life more, but now I want a way to prevent you from having to spend time.

リンク

機能性以外の他の何かが必要になってくる

「機能性」という言葉がある。よく使う言葉、よく考える言葉、衣食住に出てくる言葉。機能性の衣類は、例えば、機能性肌着のヒートテック、機能性表示食品は、例えば、トクホの食品であり、住における機能性は「効率性」と言い換えた方がわかりやすいかもしれない。

機能がまずあり、それに対応したプランが決まり、部屋の役割が決まる。その時にムダな動きは無いか、ムダなスペースは無いか、要するに、そこに与えられた機能を余すところ無くプランに反映しているか、効率良く機能を発揮できるプランになっているか、それができていれば「機能性が高い」となる。

よって、機能性は客観的な数値で表現できる。だから、クライアントを説得する材料として機能性は最良であり、数値で表現できるから、誰でも扱うことができる。

衣食住がテクノロジーの成果だとしたら、機能性のように客観的な数値で表現できることは当たり前であり、それでクライアントに納得してもらうことは必要なことではあるが、テクノロジーだけで衣食住が成り立っている訳ではない。

テクノロジー偏重になり過ぎると、テクノロジーだけで、客観的な数値だけで、住を満たそうと普通にする。それに対してクライアントも何も疑問を抱かずに、それが当たり前だと思っている。

しかし、よく考えれば、自分たちの暮らしを全て客観的な数値だけで表現できる訳が無く、主観的な感情なども入り交じってくるのに、そのような主観的な感情などを受け止めるようなことは機能性の中には含まれない。ならば、機能性以外の他の何かが必要になってくるだろうに。

CA4A69F6-099D-4A5E-9C51-B285D7A921A0.jpeg

"I need something other than functionality"

There is a word "functionality". Frequently used words, thoughtful words, words that appear in food, clothing and shelter. Functional clothing is, for example, heat tech for functional underwear, and functional labeling food is, for example, food from Tokuho, and it may be easier to understand that the functionality in living is "efficiency".

There is a function first, the plan corresponding to it is decided, and the role of the room is decided. At that time, there is no useless movement, there is no useless space, in short, whether the functions given there are reflected in the plan completely, or whether it is a plan that can efficiently perform the function, If so, it is "highly functional".

Therefore, the functionality can be expressed by an objective numerical value. Therefore, the functionality is the best as a material to persuade the client, and since it can be expressed by a numerical value, anyone can handle it.

If food, clothing and housing are the result of technology, it is natural to be able to express them with objective numerical values ​​like functionality, and it is necessary to convince the client with that, but technology alone is the basis for food and clothing. Not a translation.

If technology becomes too weighted, it will be normal to fill housing with only technology and objective numbers. Clients don't question anything about it, and they take it for granted.

However, if you think carefully, there is no reason to be able to express all of your life with only objective numbers, and even if subjective feelings are mixed in, you should accept such subjective feelings. Is not included in the functionality. Then I would need something other than functionality.

リンク

建築に思って欲しいこと

建築をどうやって認識するかなんて考えたことが無い人がほとんどだろう、どうやって利用するかは考えるだろうけれども。

建築をつくる側にいると、この建築はどのように見えるのだろうか、どのように感じるのだろうか、この空間に入った時、光の見え方はどうだろうか、視線がどのように抜けていくだろうか、歩きながら目線が連続的に変化していく中で、何を感じ、何を見て、どのように思うだろうか、時には歩き、時には座り、時には立ち止まる、そうやって、設計時から抱いていたイメージと現実を擦り合わせし、住宅ならば、ここでこれから暮らしをはじめるクライアントに想いを馳せ、修正した方がいいと思えば、その場で変更を加えたりもする。

まず最初に建築をどうやって認識するかから入る。それは建築を学びはじめた時から当たり前のように行ってきたことだが、クライアント側に立てば、決してそれは当たり前のことでは無くて、広さや大きさや使い勝手などが一番最初に大事なことになり、それは建築そのものの建築的な価値を見るというよりは、不動産としての建築の価値を見るようである。

建築には事業という側面もあるのだから、不動産としての価値が大事なのも当たり前ではあり、それを第一に持ってくるのは仕方が無い場合もあるが、それでは立つ場所や予算や広さ、大きさで優劣が決まってしまうかもしれない、それは惜しい。

建築をどうやって利用するかは少し抑えめにして、建築そのものをどうやって感じて、どのように認識するのがいいのだろうか、暮らしのためには、という考え方もあるかもしれないと思って欲しい。

FE7AE41D-D08A-456C-8740-3FC4899FC35C.jpeg

"What you want the architecture to think about"

Most people haven't thought about how to recognize architecture, though they will wonder how to use it.

If you are on the side of building architecture, what does this building look like, how do you feel it, how does the light look when you enter this space, how do you gaze? What do you feel, what you see and what do you think, while your eyes are changing continuously while walking, sometimes walking, sometimes sitting, sometimes stopping, so from the time of designing If you think it is better to revise the image you were embracing and the reality, to think about the housing you are living in here, and make corrections, you can make changes on the spot.

First of all, we start by how to recognize architecture. It's been a matter of course since I started to learn architecture, but on the client side, it's not a matter of course, but the size, size, and usability are the most important things. It seems to see the value of architecture as real estate, rather than the architectural value of architecture itself.

Since there is also a business aspect to construction, it is natural that the value as real estate is important, and it may be unavoidable to bring it first, but then, where it stands, budget and area, It might be decided that the size is superior or inferior, which is a shame.

I think that there may be a way of thinking about how to use architecture, how it should be felt and how it should be perceived, while limiting how it is used.

リンク

より多様で人に寄り添う建築を生み出すには

建築をどうやって認識してもらうか、クライアントに。

光に感動してもらいたいと考え設計するのは、建築を評価する指標が予算やプラン、敷地の場所や周辺環境などの優劣だけでは無いことを知ってもらいたいからである。

そして、更には、日常の中で建築をどのように認識するかが大事で、その認識の仕方しだいで、例えば光の話でいえば、朝陽が室内で拡散し光の粒で充満されたように感じたならば、それは爽やかで気持ちいいことであり、それはその空間でしか体験できないことだと思えれば、朝陽を毎日感じ取ることにより、爽やかな気持ち良さと一緒にその空間をも感じ取ることになり、それが日常の中で毎日起こるならば、その爽やかな気持ち良さは建築や空間があるおかげとなり、朝陽を毎日感じ取ることが、予算が潤沢にあることよりも、敷地の場所や周辺環境が良いことよりも優先されるようになる。

そのように、建築を評価する指標において、予算や敷地の場所や周辺環境などの優劣に左右されない指標があり、その指標が予算や敷地の場所や周辺環境などの優劣よりも優先された方が、より多様で人に寄り添う建築を生み出す可能性につながる。

3FF0504A-9546-4AC7-9215-37364E7AA277.jpeg

"To create more diverse and close-to-people architecture"

Ask clients how to recognize architecture.

The reason why we design with the impression of light is that we want to know that the indicators for evaluating a building are not limited to the superiority or inferiority of budgets, plans, site locations and surrounding environments.

Furthermore, how to recognize architecture in everyday life is important. Depending on the way of recognizing it, for example, in the case of light, the Chaoyang diffused indoors and was filled with particles of light. If you feel that it is refreshing and comfortable, and if you think that it can only be experienced in that space, by feeling the morning sun every day, you will also feel that space with refreshing comfort, it If it happens every day in everyday life, the refreshing comfort is thanks to the architecture and space, and feeling the morning sun every day is better than having a rich budget rather than having a good place and surrounding environment Will also be prioritized.

As such, there are indicators that do not depend on superiority or inferiority such as the budget, location of the site, surrounding environment, etc. in the indicators for evaluating the building, and it is better if that indicator is given priority over superiority or inferiority such as the budget, location of the site or surrounding environment. , Will lead to the possibility of creating architecture that is more diverse and closer to people.

リンク

建築における光の話

光を意識するようになったのは建築を勉強しはじめてからだ。建築家の作品を見学する場合の見るべきポイントのひとつとして光の入り方があり、最初はそういうものかと思いつつ、自分なりに光の入り方を意識して観察し、どういうものか、どのように感じるかを積み重ねていった。

どうして光の入り方が見るべきポイントなのかというと、建築をどのように美しく見せるかと考えていった場合、そのまま見せるよりは何か演出をしたいとなり、建築は変化せずに動かないもの、光は時刻に応じて変化していくもの、そういう意味では建築と光はものの性質上、全く正反対のものであるから、かえってその差が演出上とても効果があると考えたのだろう。

ただ、光を意識することは、人から植え付けられた見方であり、自発的に気づいた見方では無かったので、光を意識していれば建築を理解できるのだから、という程度の興味しかなかった。

その後、より光を形として意識し、デザイン要素として考えはじめるようになったのは、北欧とインドの建築を訪れてからだ。

北欧で見た光は拡散した間接光であり、室内空間を淡い光が全体的に包むような感じがあり、光を形としてデザインしたというよりは、光を粒状にして空間全体にばらまいたような感じだった。

逆に、インドで見た光は鋭く指すような光で、同時に影をつくり出していたが、その時に感じたのはむしろ影が先に存在していて、その影と影の隙間に明暗をはっきりさせながら、鋭い光が割って入ってくるような感じだった。

そもそも北欧とインドでは気候が違い過ぎて 本来ならば、そのように建築を環境の面から比べるのは無理があるが、光を意識することにより、各々の建築の違いを比べて目で見て感じ取ることができ、光がむしろ建築に地域性という要素を与えていることに気がつき、では、より光を美しくみせて、それが室内空間への演出になり、クライアントが感動するにはどうしたらいいのだろうと自然に考えるようになった。

E38B5F69-1969-4720-BB49-41AB2567F95A.jpeg

"The story of light in architecture"

I became aware of light only after I started to study architecture. One of the points to watch when observing the work of an architect is how to enter the light. Thinking that it is that kind of thing at first, but observing the way how the light enters, and wondering what it is. I accumulated what I felt.

The reason why the way of entering light is the point to see is that when I was thinking about how to make the architecture look beautiful, I wanted to do something rather than show it as it is, the architecture does not change without changing, the light Is something that changes with time, and in that sense architecture and light are the exact opposite of each other in nature, so I think that the difference would be very effective in terms of performance.

However, being conscious of light was a perspective that was planted by people and was not a spontaneously recognizable perspective, so I was only interested in the fact that I could understand architecture if I was conscious of light. .

After that, I began to think more about light as a form and to think about it as a design element only after I visited the architecture of Northern Europe and India.

The light seen in Scandinavia is diffused indirect light, and there is a feeling that the interior space is totally surrounded by faint light, rather than being designed as a shape of light, it seems that the light is granular and scattered throughout the space. It was like that.

On the contrary, the light I saw in India was sharply pointing light, and at the same time, it was creating a shadow, but what I felt at that time was that the shadow existed first and the light and darkness was clearly visible in the gap between the shadow and the shadow. While letting it go, it felt like a sharp light was breaking in.

In the first place, because the climate is too different between Northern Europe and India, it would be impossible to compare architecture in terms of the environment, but by conscious of the light, we can compare the differences between the architectures and see them visually. I could feel it and realized that the light rather gives the architecture an element of locality, so what should I do to make the light more beautiful and to create an indoor space and to impress the client? I came to think naturally.

リンク

光の記憶、建築体験。

一番最初の建築体験は光に魅せられた時だった。どうして人は光に魅せられるのだろうか、毎日毎日、太陽の光を浴びているのに、その都度感動はしない。

その時、建築は光の形をデザインするのだと思った。光量も含めて、時間に沿わせて刻々と変わる光に形を与えることにより、人に光を特別な存在に思わせているのではないか。

例えば、教会のステンドグラスはガラス自体に装飾や物語が施されているが、そのステンドグラスを通した光にも装飾や物語といった形を与えることになり、ステンドグラスと共に光も特別な存在となしている。

やはり、光が特別な存在になり得るのは、ひとつは天から全てに一様に降り注ぐためであり、もうひとつは万物に恩恵をもたらすからだろう。「一筋の光」という言葉があるように、人は光にメタファーとして希望を感じ取っている。

要するに、「一筋の光」もそうした人、すなわち、光にメタファーとしての希望を抱く人が無意識のうちに形をデザインしたようなものであり、建築はその手段となり得る存在であり、その光に魅せられた人が光と共に建築に対しても特別な感情を抱くのであり、それが素晴らしい建築体験として記憶されるのだろう。

5A46647D-7342-4D8D-8AFF-64E4C555942F.jpeg

"Memory of light, architectural experience"

The first architectural experience was when I was fascinated by light. I wonder why people are fascinated by the light, and even though I am exposed to the sunshine every day, I am not impressed each time.

At that time, I thought architecture designed the shape of light. By giving shape to the light that changes with time, including the amount of light, it may make people think of light as a special existence.

For example, church stained glass has decorations and stories on the glass itself, but the light passing through the stained glass also gives shapes such as decoration and story, and together with the stained glass, the light is also a special existence. ing.

After all, light can be a special existence, partly because it pours evenly from heaven to all, and partly because it benefits all things. As the word "a ray of light" implies, people perceive light as a metaphor.

In short, "a line of light" is like that person, that is, a person who has a hope as a metaphor for light unconsciously designed a shape, and architecture is a means that can be the means, The fascinated person will have a special feeling for the architecture with the light, and it will be remembered as a wonderful architectural experience.

リンク

想像できるくらい先のことでいい

人はどこの辺りで認識をするのが一番心地よく感じるのだろうかと考えていた。

今現在の日常より良くなると認識できれば、当然心地よく感じるだろうが、今現在の日常より悪くなると認識したならば不快になるだろうし、今現在の日常と変わらず同じでも不快では無いかもしれないが、ただ心地よいとも思わないだろう。

では、今現在の日常より良くなるとして、今現在の状況からは想像できないくらいに良くなるとしたら、それはどうだろうか、想像できないくらいに良くなるのだから、凄く心地よくなるのだろうか。

もしかしたら、それはそれで不快かもしれない。自分が想像できないくらいのことは、例え凄く良くなることがわかっていても、想像できないことで不安や心配が湧き上がってきて、それは自己防衛本能が働くからか、素直に心地よくはなれないかもしれない。

結局、人は自分が想像できる範囲で良くなることが一番心地よく、それは今現在の位置より自分の手が届く所くらいまでの前進で良いのかもしれない。

これはあくまでも建築やデザインやものづくりのはじめの目標設定の話だが、今現在の状況に照らし合わせても、それは完全にコロナが終息する状況が早く訪れることが一番良いのだが、それに対して誰も明確な答えを出すことができないのならば、人が想像しやすい時間の単位毎に、例えば1週間毎に、今現在までの状況分析からのリスク説明を伴う出口戦略を示してもらえれば、ただStay Homeしているよりもこの時間を使って、今現在も行ってはいるが、より少しでも良くなる手段を自分たちでも考え創意工夫できて、精神衛生上もより良くなるし、今現在より少しは心地よくなれると思うのだが、いかがなものでしょうか。

9940DEF3-0864-4276-806D-5CCE0C21F310.jpeg

"It's okay to think ahead"

I was wondering where people would feel most comfortable to recognize.

If you recognize that it will be better than your present day, you will naturally feel comfortable, but if you recognize that it will be worse than your present day, it will be uncomfortable, and even if it is the same as your present day, it may not be unpleasant. I don't think it's just comfortable.

So, if it's better than today's daily life, and it's better than you can imagine now, what's that, and it's better than you can imagine, so it's really comfortable.

Maybe it's offensive. Even if you know that things that you can not imagine can be greatly improved, anxiety and anxiety will rise because you can not imagine, maybe because your self-defense instinct works, you may not be comfortable comfortably .

After all, it is most comfortable for a person to be as good as they can imagine, and maybe it's better to move from where he is now to where he can reach.

This is only about setting goals for the beginning of architecture, design, and manufacturing, but in light of the current situation, it is best that the situation where the corona will completely end soon will come, but to whom If you can not give a clear answer, if you can show the exit strategy with risk explanation from the situation analysis up to now, for each unit of time that people can easily imagine, for example, every week, However, I am spending this time rather than staying home, and I am still doing it now, but I can think and devise ways to improve even a little, I am better in mental health, and now I am I think it will be a little more comfortable, but how is it?

リンク

精度か

コーヒーのマグカップを眺めながら、繊細さはどうやって認識するのだろうと考えていた。

まず形だろう。形がシャープならば繊細に感じる。例えば、樽型よりは糸巻き型の方が繊細に感じそうだ。やはり、樽型では野暮ったく、無骨になるだろう。

次に、厚み。厚みは端部に現れる。端部の処理が細かったり、薄かったりすると繊細さが出て、厚いと繊細には見えない。

あと、色もあるだろう。膨張色である暖色系よりは収縮色である寒色系や、黒やグレーや白のような無彩色の方が繊細に感じそうだ。

そして、精度。もしかしたら精度が一番大事かもしれない。精度とは全体のつくりの精密さであり、きっちりとしていて狂いがない様で、精度が高い方が繊細に見える。もしかしたら、形が樽型でも、厚みが厚くても、色が暖色系でも、精度が高ければ、それだけで繊細に見えるはずだ。

0E0935F3-3C9A-4DD6-979D-560C3DC03EF4.jpeg

"Accurate?"

Looking at the coffee mug, I wondered how to recognize the delicacy.

First of all If the shape is sharp, it feels delicate. For example, the wound type seems to be more delicate than the barrel type. After all, the barrel type will be dull and clunky.

Next, thickness. Thickness appears at the edges. If the edge treatment is thin or thin, delicateness appears, and if it is thick, it does not look delicate.

There will also be colors. It seems that cold colors, which are contracted colors, and achromatic colors, such as black, gray, and white, are more delicate than warm colors, which are expanded colors.

And precision. Perhaps accuracy is the most important thing. Precision is the precision of the whole construction, it seems to be tight and there is no deviation, and the higher precision looks delicate. Maybe even if the shape is barrel-shaped, thick, or warm-colored, if it has high accuracy, it will look delicate by itself.

リンク

自分を中心に据えてみると

普通に認識していた空間が違って見える瞬間を考えていた。

認識する側、すなわち自分が立ち止まっているか、動いているか、動いていれば場面が転換していくので、その転換ごとに場面を認識するだろう。それはまるで舞台の上のセットのように、それはわかりやすい、セットが転換すればストーリーも変わる。この場合、ストーリーは日常の暮らしに言い換えてもいいだろう。動くごとに日常の暮らしが場面転換し、その都度、空間を含めた日常を認識していく。

では、立ち止まっている時はどのように認識しているか、自分は動かない、でも何かを決起に認識していく、その何かはもしかしたら日常の暮らしそのものかもしれない。ならば、立ち止まった自分を中心に据えて空間を構築してみると、日常の暮らしが直に空間に現れてくるような気がした。

14991ED2-49C1-4D03-AB1E-461EC1E8CDFE.jpeg

"When you put yourself in the center"

I was thinking of the moment when the space that I normally recognized looks different.

The recognizing side, that is, whether you are stationary, moving, or if you are moving, the scene changes, so you will recognize the scene at each change. It's like a set on the stage, it's easy to understand, and when the set changes, the story changes. In this case, the story could be translated into everyday life. Every time you move, your daily life changes scenes, and each time you recognize your everyday life, including space.

Then, when I'm stopped, I don't move, I recognize something when I stop, but I think that something is the everyday life itself. Then, when I tried to build a space centered on myself who stopped, I felt that everyday life would immediately appear in the space.

リンク