厚みがあるなし

何でもかんでも平面的に捉えてしまう。昔、村上隆がスーパーフラットということをいっていたけれど、東山魁夷の絵が好きで、一番最初に絵を見て感化されたのはウォーホールのキャンベルスープなので、陰影がなく、空気遠近法でもなく、画面という二次元に三次元を描くためになるべく平面的にしようという、変化球を投げようとしたら、結局直球になり、ただ、その直球が何ともいえないシンプルな味があるような、ややこしい捻くれ者の表現が心にささる。

だから、建築という三次元の代表のような存在を表現する時にも、平面的に、フラットに、イメージでは陰影がなく、その場面場面は建築をスライスした断面という二次元を見ているような感じです。

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だから、そこにいる人も厚みがなくペラペラでひらひらした存在、人間とはそういうもので、人間は社会の中で存在する人なので、その社会の在り方によって人はどのようにも人間として変わるし、変われる、人間には厚みは必要ではないかもしれない。

そのような見方だから、柔軟に人間としてウィズコロナに合わせ、ひらひらと変わればいいし、後で振り返ったら、今のこのややこしい時があったから、人として厚みが増したと思いたい。

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物中心より人間中心

設計とは、何でもありな多様性に枠をはめて限定的な多様性にする行為だとしたが、その枠のはめ方を人間中心に考えたいと思います。

人間中心以外では、素材や形といった物中心に考えたり、暑い寒いなどの温熱環境から派生して、また別の物中心の考えがあったりなどしますが、人間が使い、人間との関係性があるから建築として成立しているのであり、人間とは関係が無いところで成立していれば、それは単なる工作物であり、建築とは明確に違います。

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だから、設計として建築を取り扱う以上、人間中心に考えるのが自然であり、そうすると、予算も物中心の範疇に入りますので、物の良し悪しとは関係が無いところで、建築の良し悪しを考えることができるようになります。

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何でもありに枠をはめる

全体としてのひとつの意味づけではなくて、たくさんの意味づけが存在しており、そのどこを取り入れるかは人によって違い、その取り入れ方によってその都度意味が変わり、見え方も変わる、そのような建築をつくりたいといつも思う。

ひとつの意味で成り立つものはどこかで無理矢理その意味に合わせていて、そうすることにより存在意義を見出しているのかもしれないが、それは何とも不自然であり、別の見方や別の人が見れば、いろいろな意味がつけられる。それを簡単に言えば、多様性があるということだけれど、単なる多様性では何でもありであり、それは何でもありの建築になり、何でもありならば、あえて設計者はいらなくなる。

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設計とは、何でもありな多様性に枠をはめて限定的な多様性にする行為であり、その枠のはめ方がデザインであり、デザイナーの姿勢が表れるところだろう。

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小さいから第一印象で決まる

本当に小さい商業施設に対して、その大きさに対する認識を建築デザインと結びつけて考えることは有効だとしたが、その大きさ故に、小さいから全てを一望でき、そうすると、本来ならば、ひとつひとつ、それは無意識に、これは何、これは何と意味を確認しながら、その存在を段々と認識していくところを、瞬時に確認と認識のズレもほとんど無く、意味づけをしてしまうことになる。

この意味づけを印象とか、イメージという言葉で置き換えるならば、その大きさ故に、第一印象を瞬時に決められてしまう。

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人も同じだが、第一印象で8割ぐらいは成否は決まるかもしれないので、商業施設で、しかも小さい建築ならば、尚更、その大きさをデザイン要素として活かしコントロールしなければならないだろう。

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計画案の問いとしての大きさ

いま、本当に小さい商業施設の計画案を考えている。一般的な家より小さく、屋台や移動販売車や露店よりは大きいくらいのスケールです。

普段、建築を用途で振り分けているところがあり、ここは家、ここは飲食店、ここはスーパー、ここはコンビニ、ここは病院、ここは、などのように、そして、勝手に大きさもこのくらいだと決めつけていて、だから、あの家は大きい、この飲食店は広い、このコンビニは狭い、などと思ったりする。

用途と大きさは結びついていて、違和感なく人に認識され伝わるための用途に対する大きさがあるような気がします。そうすると、明らかに、今計画中の商業施設はその違和感なく人に認識され伝わる大きさから外れている。

その大きさの認識に対してどうするか、それを建築のデザインとしてどのように考えるか、どのような建築のデザインに結びつけるかは、十二分にこの計画案の主題として成り立つ問いだろう。

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変わらないアナログさ

3年に1度の一級建築士の定期講習の日、新型コロナで3回延期になり、今年度中に受講すればいいのですが、またいつ第2波の新型コロナで受講できなくなるかもしれないから、早めに、できるうちに、朝から5コマのビデオ講義と効果測定のための修了考査と1日がかりでした。

一応、修了考査に合格しないと、また定期講習を受講し直しで、今年度中に定期講習を修了しないと、修了するまで設計できなくなるのですが、たぶん修了考査で不合格になるような人はいないくらいの問題の難易度であり、ビデオ講義で使用するテキストを見て解答してもよいので、全く何も問題なく合格でき、それは全然大したことでは無いのですが、ただ、いつも思うのは、いつまでマークシート方式で解答するのだろうかということ。

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マークシート方式の○✖️問題を解くのも3年に一度、この定期講習の時だけで、3年ぶりに○か✖️かを考える問題をやり、それは単なる間違い探しをしているだけで、そして、出た○か✖️かの解答をマークシートに塗り絵していく。

こういう定期講習の場合、間違い探しをする問題になるのは仕方が無いとしても、このマークシートの塗り絵をしている時にいつも思います、この時間が勿体ないな、塗り絵をしている時間で他の問題がいくつも解答できるし、学生の時にはマークシート方式がありましたから、いつまで経っても進歩しないというか、パソコンもスマホも無い時代からあるマークシート方式を今だに採用しているのは不思議だし、なんかとてもアナログだなと、アナログ好きには貴重な時間でしたが、塗り絵はなんとか別の、デジタルな方式に、その方が受ける方も管理する方も楽で時間の無駄もなく良いと思うのですが、何かマークシート方式で行う理由があるのでしょう。

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際の敷地に慣れ以上の何かがあるか

線路際の敷地での設計や工事の経験は何度もあります。一番最初は前に在籍していた設計事務所ではじめて担当した集合住宅の設計で、敷地が東海道新幹線を見下ろす場所だったので、事前協議の書類を提出するためにJR東海の大井車両基地へ何度か行って、止まっているたくさんの新幹線車両を間近で見たりもしました。

他の鉄道会社でも、設計段階で事前協議をし、別にそれは大変なことではないですが、一番気を使うのは施工段階の実際に工事をする時であり、設計事務所にいた時はゼネコン任せでよかったですが、自社で設計施工をするようになると、もし万が一何か事故があれば大変なことになるかもしれないという心配がいつもありました。

ただ、実際に工事がはじまれば、心配は最初の方だけで、きちんと安全対策を取るのだから問題は無いので、段々と慣れてきて気にもならなくなり、むしろ間近で電車が見られることを楽しんだりもしていました。

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そうやって余裕ができると、いつもふと思うことがあります。すごく近くを電車が通り、時には車両の中の乗客と目が合ったりして、実際の距離がとても近くても、お互いのいる場所は全く違う空間であり、その空間同士は断絶しているから、お互いに近かろうが、目が合おうが、全く気にならない、この関係性をうまく同一の建築の中におさめることができたならば、高い公共性やプライバシーが要求される建築での有効な空間構成が発見できるのではないだろうか。

実際にずーっと線路際の土地に住んでいる人にとっては、近くを電車が通っていても、気にしないどころか、無いも同然なので、それはただ単に慣れ以上の何かがあるとして考えてみるのがいいかもしれない。

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意識してしまう建築、それは精度

毎日毎日、建築ばかり見ている、それは誰でも同じで、街を歩けば誰でも建築を見ます、どこにでも、そこらじゅうに建築は建っているから、でも後で振り返った時に、例えば、1日を振り返ってみて、覚えている建築はいくつあるだろうか、いや、いくつどころじゃなくて、ほとんど覚えていないだろう。建築をやっている私でさえ、ほとんど覚えていない、覚えているのは利用した建築ぐらいで、見てはいるけれど覚えていない。

ほとんどの人が目の前を通り過ぎる建築を覚えていない、見ていない、それはそこに建築が存在していないのと同じです。その証拠に、今まであった建築がある日突然取り壊されて無くなってはじめて、そこに今まであった建築のことを気にするが、ほとんどの場合、そこにどのような建築が建っていたかを思い出すことができない。それは意識の上でそこに建築が存在していなかったからです。

だけど、いちいち見た建築を全部覚えていたら、頭の記憶容量がパンクしてしまうから、そのくらいでいいのだろうけど、それでも覚えている建築もある訳だから、その差はどこにあるのだろうか、気になるところです。

電車の車内から窓越しに外を見ていると、流れるように風景が通り過ぎていきますが、その中でも、特に意識せずにいても、パッと目に止まる建築があります。他とは何かが違うから目に止まる訳ですが、大概そういう時は建築家の作品である場合が多いです。

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それは私がそういう建築を求めているからというのも当然ありますが、ずーっと同じトーンで流れているのが突然乱れるような、ノイズのような、別の言い方をすれば、引っ掛かりがあり、そのせいで突然意識上に現れてくるようです。

その引っ掛かりが何か、私がいつも考えるのは「精度」であり、明らかに他より精度が高い、それはデザインの精度であり、そして、つくりの精度です。逆に言うと、他が粗く、雑に見えてしまうのです。

だから、建築を意識させるために必要なことのひとつとして「精度」は必ず入ってくると考えています。

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変形地は宝探し

変形地の建築計画を考えるのは何故だかわからないですが、宝探しをしているような楽しさがあります。

高架の用地買収の結果できた細長い変形地は、まさに切り取った後に残った余白のような土地であり、また、違う見方をすれば、元の状態の断片であるともいえる。

きっとそのような余白であり、断片である土地があちらこちらに出現しているだろう。今は空き地だが、それが段々と埋まり、何かが立ち現れた時に、これらの余白で断片な土地はどのように扱われているのだろうか。

細長い変形地であるから、利用の仕方は限られるかもしれない。実際に今計画中の土地も、前は駐車場とする計画だった。いやむしろ、駐車場として利用できるような土地の残し方をしたのかもしれない。

このような事例はきっとよくあることだろう、それ故に、これから建つかもしれない建築が何かのヒントになったり、何かを誘導するような役割に、その何かは景色の中でその建築がそこに存在することで獲得できるたくさんの人にとって良いこと、それがお宝であり、それを探り当てることが目標であり、それをこの建築計画における環境面の課題として考えています。

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斜めを入れてみると

斜めが気になりながら、どうしてだろうと頭の片隅に残しながら、はじめて能楽を鑑賞してました。

いつもお世話になっている先生が能のシテを演じる機会にお声を掛けていただき、シテとは主役のことだとはじめて知りましたが、このようなキッカケでもなければ能楽を鑑賞することなど無いかもしれないと思い、予備知識もそこそこに宝生能楽堂へ。

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非対称の客席にどこに座ろうかと迷いながら、能舞台正面に対して左斜め45度の後ろの方の席に、そこが客席も含めて全体を見渡せるかと思い、とにかくはじめてなので、舞台上だけでなく、お客の反応も見られるところが良いだろうと思いながら、その後は2回客席を移動して、舞台正面、舞台側面と座ってみました。

演者出入口と能舞台をつなぐ導入路を「橋掛り(はしかがり)」というそうで、能楽堂によりその長さは違っていても能舞台に対しては斜めに取り付いていて、何故か、どうしても建築的に見てしまうのか、それがどうして斜めなのかが気になった。

後で先生にお伺いしたら、遠近感がわかるためだと教えていただき、それが日本的、東洋的で面白く、斜めを入れることにより遠近感を出そうとするのが、西洋絵画に比べて平面的な日本画や水墨画、襖絵、屏風絵、浮世絵などの特徴と同じだと思い、それらは決して西洋絵画のように写実的ではないけれど、絵画を幾何学的に扱い、斜めの線で遠近感を実際より誇張し、写実的な西洋絵画より、より絵画的で、むしろデザインされた図案のような印象を与えてくれる。

さらに能楽はそこに実際の人の動きが加味されるので、隠れた斜めの線もあり、より幾何学な動く図案として立ち現れるような気がして、ただ、それは後から気がついたので、また機会があれば、今度はそこを意識して見てみたいと思います。

それにしても、つい建築と関連づけて考えてしまいますが、もしかしたら「斜め」を入れることを、それは過去の建築を思い返してもたくさんあるのですが、今後はまた違った見方で考えることになるような気がします。

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