全体と部分

全体を見ずに部分的なところばかりを見ていては、うまくいかない、と考えるのは、全体と部分には整合性があるものであり、整合性がないといけないから、整合させようとするのはいいこと、だという前提があるからだろう。

ならば、前提を逆にすれば、部分的なところばかりを見ることがいい、となる。この場合、全体と部分に整合性がなくてもいいことが前提になるが、場合によってはそれも可能性としてはある。ただ、単に逆にしただけでは、あまりに単純で反動的なので、ちょっとひねりを入れる。

部分はそれぞれ独立してありながら、全体はひとつにまとまっていて、ただ全体と部分には整合性はない、としてみる。この場合も可能性としてはありえるだろう。部分的なところだけを見て、単独で成り立たせることをだけを考えても、そこに何かつながる細い糸を見つけることができれば、それでいいとなるから。

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理性がまさる

ものには何らかの意味が付着している。これが元々どうであったか。モダニズムでは、ものが持っていた意味を否定するところからはじまった。ポストモダニズムでは、その否定した意味に焦点をあて、意味を復活させようとした。ところが、復活したかにみえた意味は、また不要なものとして、より巧妙にものの奥深くにかくしてしまった。

ものに何かしらの意味を持たせたい、という感情は常に存在している、とおもう。だから、定期的に、形を変えて、ものの意味が問われる。いっそ、素直に、感情を認めて、意味自体をあつかえばいいのに、理性がそれを許さないのだろう。なぜか理性がまさる。

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うまくせまく考える

行きづまったら意図的にせまく考えてみようか、とおもった。行きづまりは、現状にうつ手がおもいつかない状態で、現状がすべてだとおもっているからおこる。だから、現状はとてもせまいことである、とおもえれば、その外側へいく意識が生まれるのではないか。

うまくせまく考えることができれば、その外側へいく意識がイノベーションになる、とおもった。けっきょく、時間をつかって考えるならば、何かしらイノベーションを生みたい、とおもう。

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つくるより選ぶ

何かを出現させようとしたとき、まず、つくることを考えるが、選んでいるだけではないか、とおもった。つくるときには、何かしらのベースがあるもので、そこから、いくつも枝わかれした予測が存在する。その予測は無意識に行っている場合もあり、その予測の中から選んでいるだけなのに、つくっていると錯覚をしてしまうかもしれない。

そこで、予測の中から選んでしまっているのならば、いま一度、つくることを意識し直すことで、よい物を出現させようとするのと、どうせ選ぶことになるのならば、選ぶことで済まして、他のことでよい物にしようとするのと、2つの方向性が考えられる。

どちらも有りだとおもうが、イノベーションを起こせるのどちらだろうか。きっと前者だという人が多いだろう。ならば、後者で考えてみる。理由はつくるより選ぶ方が早いからで、スピードがないとイノベーションは起きない、と考えるから。

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他者探し

何かをつくる方法を考えるとき、そのもの自体に関することと、そのもの以外に関することに分けてみる。そこに境界線があり、いつもは大体、そのもの自体だけにしか考えがおよばない。

ぐっと範囲を狭めつつ、範囲の外を意識してみる。そうすると、そのもの自体だけでは成り立たないことに気づく。範囲を狭めたおかげで、意識できる範囲が広がった。

きっと他者探しをしていることになるのだろう。今度は範囲の外にあったものを内側に囲い込むような言葉を探してみる。

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具体的な言葉

言葉で何かを具体的に表せば、その言葉の外側に何があるのかもはっきりとする。そうやって、言葉で境目をつくることにより、意識しないでスルーしてしまうことを防げる。

一番くやしいのは、気づく可能性があったことに対して、明確に気づけなかったときで、そうおもうのは、頭の片隅にあり、具体的に表していなかったから。

なかなか難しいことだが、未知の分野で方向性をかんがえるときには、一番大切なことかもしれない。

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フレームの外へ

フレームのなかにある範囲でかんがえてみたとき、結果がそのフレームの外までおよぼすことはない。ただ、そのことがわかるのは、フレームがあることを知っているときだけである。フレーム自体を知らなければ、結果がフレームの外までおよぶと錯覚してしまうし、そもそも結果がフレームの外までおよぶかどうかもわからない。

だから、フレームの設定をすることで、フレーム自体を意識できることは重要になる。フレームがわかれば、フレームの外にいける。けっきょくは、フレームの外へいきたい、のだとおもった。いくらたくさんフレームを設定し直したところで、フレームの外へいきたい欲求はおさまらない。

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