失敗をつくる

意図的にやると、やり過ぎて失敗するときがある。そういうときは、そもそも意図的にやるのが失敗のもとだったりする。ではと、そのときに学び、意図的さを排除するためにはどうするかと次に考える、普通は。

もしかしたら、失敗することを避けること自体が失敗のもとだったりしないだろうか。禅問答のようだが、やり過ぎて失敗した様は、そこだけ見れば、もとの意図をすでに反映していない。失敗した後のものには意図的さが消え、違うものに見えていないだろうか。その違うものは最初に目指したものではないが、最初の意図の別バージョンではないだろうか。ならば、失敗は新しいものを生成する要素として、避けるのではなく、つくるものではないだろうか。

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失敗の山

自然な様はつくり出すことができるだろうか、という問いには何と答えるか。自然の様は自然そのものではないから、意図的に人工的につくり出すことはできるだろう、と言葉上はそういう回答になるかもしれない。

ただし、実際に意図的に人工的につくり出したものが自然の様に見えるかどうかはわからない。どこかでやはり意図的で人工的だと思ってしまったら、自然の様ではない。結局、自然な様も何もしないで放ったらかしにすることでしか、つくり出すことができないのかもしれない。ならば、自然そのものと同じではないか、となる。

だから、自然そのものの生成過程を真似て、その生成過程を意図的に人工的につくり出し、あとは何もしないで放ったらかしにする。そうしたら、やがて自然の様になる。

時はかかるものである。でも、時はかけれないから失敗する。そして、同じ失敗をたくさん繰り返す。その失敗の山はもしかしたら、自然の山に近い見え方を一瞬するかもしれない。

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誰も注目しないところ

同じ場所、土地でもどこに注目するかは人によるが、大体似たようなところを見ている。やはり、ハレの部分というか、設計で扱いやすい部分を自然に選んでいる。そこを扱えば大多数の人を説得しやすいし、納得させやすい。事業上、仕事にして最終の形にしたいので必然的にそうなるのだろう。

だから、可能性を求めるならば、誰も注目しないところに目を向けてみる。圧倒的にそちらの方が量は多い。たしかに、大部分はすぐには設計の中で扱えないものばかりである。しかし、そこで建築として扱えるように見出すことが、設計すること、だといえなくもない。

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未来に過去を重ねる

設計はふつう、過去のものを顧みて、現在から未来に対して考えるが、このときに過去をどのように扱うかによって、過去とのつながりができたりできなかったりする。

ちょっと順序を変えて、まずはじめに過去のものを顧みるのを止めて、ひたすら現在から未来に対してのみ考える。そのあとに、そこへ重ねるように過去のものを被せてみる。最後が過去との関わりになるので、過去とのつながりが切れることはない。

現在から未来に対しての提案に過去のものを重ねることにより、時が途切れることなく、さらには複雑性と多様性が得られるのではないかと考えた。

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アウトラインだけ

引けるだけ引いて、最小限まで引いて、もうこれ以上引くことができないところでかんがえてみると、どうなるか。最小限の引けるところは、アウトラインだけの状態かもしれない。そこからは、何かを手がかりに、足すか掛けるかしていく、とする。

そうすると、アウトラインの状態で何が可能かを見極めてみたい。単線のアウトラインは、思いのほか窮屈に感じる。単線であるがゆえに、線にバリエーションがないため、単線の純粋な軌跡でしか表現の手段がない。無数に軌跡は描けるが、意図に大差がないと、軌跡のバリエーションも収束に向かう。アウトラインだけのスタディは誤魔化しがきかない。

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意図的なニコイチ

2つあって、はじめて一人前のような関係性は、どちらも単独では弱いので、チカラを合わせましょうということかもしれないが、それで上手くいくには、チカラの合わせ方をどうするか、という問題もある。

2つの良いところがそのまま失われずに共存できればいいが、打ち消しあっては元も子もない。せめて打ち消しあうのが悪いところならば、良いところが共存できなくても、チカラを合わせる意味はある。

理想は合わさることで、良いところは相乗効果でより良く、悪いところは打ち消し合いなくなることか。ニコイチはきっとこの理想に近いことかもしれない。

もしかしたら、意図的にニコイチを形成することで、単独行為の結果を意図して超えることができるかもしれない。きっとその時には、意図しない複雑性を身につけているだろう。

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