未来からながめる

できるならば、一度未来にいき、そこから今をながめてみたい。きっとおかしく見えるかもしれない。あんなことやこんなことをしてる、などと笑うかもしれない。初期の携帯電話を知ってる人は、今、その当時を見れば、あまりにも滑稽で、肩から担いでるよ、などとその大きさに呆れるだろう。

ただ、今、一所懸命に未来を描こうと考えることは、例えば、肩から携帯電話を担ぎながら、この電話をもっと小さく軽く、と考えることではない。それは大きいけれど、この電話を使って何ができるか、だとおもう。なのに、ほとんどの人が、もっと小さく軽く、と考える。

一度未来へ行った気になってみる。もしかしたらスマホは無いだろうから、コミュニケーション用のデバイスがあればいいが、無い場合どうするのだろうかと考えてみる。その時できるのは、今考えることができる手段の範疇でしかないから、それは未来ではなくて、今に役立つことになるかもしれない。

結局、未来は現在の延長でしか考えられないので、描く未来像は今である。だから、そこから脱してみたいので、一度未来にいき、そこから今をながめてみたい。

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矛盾づくり

矛盾は避けたいもので、矛盾は人から指摘される欠点だが、上手く使えば武器になる。真逆のことが存在してるから矛盾だが、矛盾状態をつくることができている時点で有利である。それを利用すればいい。

もし矛盾を一気に解消できるところを見つけることができれば、誰にも真似できないものをつくることができる。だから、最初に矛盾づくりをするのも、ものづくりの第一歩かもしれない。

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妄想がかわる

言い換えることで見方をかえることができる。必要とされていることは、妄想から逃れること。妄想は現実を伴わないから妄想なのであり、言い換えることで現実的な見方にかえれば、妄想が実現可能な未来にかわる。

妄想などしていない、いつも現実的だとおもうときほど、その現実的だとしていることが妄想に取り憑かれる。妄想では何もつくられない。

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枠外へ

何かを思いつきたいとき、ストレートな問いかけでは、当たり前のこと、今までの延長線の答えしかでてこない。ストレートな問いかけでは決められている枠からはみ出ることができない。きっとその枠のことをいわゆる〈バカの壁〉と呼ぶのだろう。

その枠の外側へ行きたい。枠は強固だが、枠の中にいると意識できれば、枠の外へは行けるだろう。一番困るのは、枠の中にいるということに気がつかないときにどうするか。案外かんたんに枠を忘れてしまう。

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モノ間のつながりは多量

たくさんのモノを寄せ集めてきたら、それを分類するなり、共通点を見つけるなどして、その集まった状態をデザインしようとするだろう。何らかの関係性を見つけて、つながるように配置しようと考えるのも同じである。ただ、そのように全体を俯瞰してデザインすることは、大多数の人が考えることでもあるだろう。

個々のモノ間のつながりだけを考えてみる。全体を俯瞰する場合より、つながりは多量になる。この量の多さがつながりだけを抜き出して扱うことを担保してくれて、モノと同等に扱うことを許す。

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軽い球

玉突きのように、ひとつ見えると、また次のものが見えるようになる。何かを習得することは、そういうことの繰り返しなのだろう。案外、最初は軽い球を使った方が突きやすいから回数がこなせる。回数をこなせれば、次々見えてくるから、悪いところも当然たくさん見えるが、回数をこなして克服もできる。

重い球は威力があるが、扱いづらく回数がこなせない。だから、上達してから使う方がいい。球を他のものに例えれば、何にでも応用が効く。

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