人をつなぐ緑

緑は人をつなぐ役目をするとかんがえてみた。緑は本来、相対するもの、眺めるもので、鑑賞物である。だがもし、人と何かをつなぐ物、媒介する物だとしたら、今までの緑の配され方とはちがってくるだろう。

緑を鑑賞することが目的ではなくなるのだから、建築でいえば、緑は構成要素のひとつになる。今まで外回りの要素のひとつとして眺めてきた。しかし、建築と何かをつなぐためにある存在、すなわち、建築がそこにある必要性を緑が担保してくれる。この流れから室内に植栽を配するという発想も生まれたのだろう。ただ、ちょっと虫嫌いにはつらい。

緑がつなぐ物はどこかで、人であって欲しい、とおもってしまう。だから、人と緑が並列に存在し、そのスペースを緑が構成する、そのような建築を構想してみたい。

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つながりを表現

つながりを表現できたら、つながりとそれ以外、という分け方ができる。建築でも何でも、ものをデザインすることは、つながりとそれ以外の部分とを明確にすること、と仮定できるのではないかとおもった。

そして、つながり部分をことさら強調、あるいは誇張してみせることで、つながりがもつ作用や意味が表現できる。つながりは関係性だが、それ自体が表現になれば自律する。

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つながりは自律的

つながりが見えづらくなっている状況は不安を抱くかもしれない。どこでどのように何がつながるのかがわかることによって、自分自身の立ち位置もわかるから安心できる。だから、ものづくりには、つながりをわかるようにすることも、必要だとおもう。

つながりは至るところに存在し、むしろ、全てはつながりの結果で存在しているともおもう。それを他律的というのかもしれないが、それはつながりの関係性に焦点を当てるからで、つながり自体に焦点を当てれば、それは自律的なこととして浮かび上がる。

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複数の自律

ひとつの自律したものをつくりたいという欲求は、ものをつくる人ならば誰でも根源的に持っているだろう。それは建築やデザイナーといった作品をつくる人たちだけでなく、民芸品のような日常に必要な道具をつくる人たちも同じだろう。

ただ同時に、単なる自律したものではもの足りない、ともおもってしまう。単に自律したものは、まわりとの断絶をおこし、孤立する。孤立からくる、その場だけ良い、ようなことはしたくない。だが、孤立を起こさないようにつながりを求めると、自律の良さのひとつである強度が失われていくような気がする。

だから、複数の自律したものを考えてみることにした。複数あれば孤立を避けることができ、かつ自律の強度も担保されるかもしれない。さらに、複数あれば、ひとつの自律が持っている象徴性が分散され和らぎ、複数での象徴性は新たな場面を生むかもしれない。

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勘違い

なかなか進まないときは、何かを勘違いしているのかもしれない、とおもうようにしている。勘違いからの思い込みで、余計なことをしている場合、進みが悪くなるが、大概は勘違いをしていることに気がつかない。そうすると、さらに進まなくなる。

勘違いは根本からちがう方向へ行ってしまうので、修正するにもすぐにはできないが、でも修正しない訳にはいかないので厄介だ。そうやって勘違いを修正しながら進むのは、なんか寄り道をしながら行くようで、考えようによっては楽しい。

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目的は何か

振り返ると、つくることが目的だった。つくったものを並べて改めて見直してみて、もし、つくることを手段としたら、では目的は何だったのだろうか、と考えてみた。

正直、すぐには思いつかない。目的、すなわち、つくることによって何をしたかったのか。ひとつひとつには、その時々の条件や要望といった固有のコンテクストがあり、それに応えてきた。だから、何か共通の目的を意識はしていなかった。もちろん、デザインに関しての通底する考えはあるが、その実現が目的かというと、ちょっとちがう気がした。

いま一度、目的をちょっとだけ深く考えてみようと思う。そうすることで、この先のものづくりに対してよりクリアな態度でのぞめるような気がする。

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具体的に

とかく抽象的になりがちである。何にしても抽象的に捉える方が楽なので、それは細部まで決めなくてよく、それでいて方向性は捉えることができるから。ただ、人に伝えるときは、具体的でないと、イメージできず伝わらない。それに、具体的にすることで今から先の状況がみえる。

思いつきは抽象的に、伝えるときは具体的にすることで、過程での抽象的から具体的への変化がさまざまな効用をもたらす。たぶんその中でアイデアも整理され洗練されていくのだろう。

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