侵食しあう

日常か非日常か、という二項対立では割り切れないところに面白さがあり、もっと日常か非日常かを細分化してながめてみると、観念的で詩的な非日常、現実的な日常とにわかれる、とおもった。きっと割り切れなさは、お互い侵食しあっていて、すっきりとわけられないからだろう。そこに面白さを感じる。

侵食しあえば、観念的で詩的な日常、現実的な非日常とにわかれる。現実的な非日常も、妄想から抜けだした展開がありそうだが、観念的で詩的な日常の方がよりリアルに日常の中に新たな展開がつくれそうな気がした。

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