感覚は有効

そこに何を置くかは何によって決まるか。理屈、真理、理論か、それとも感覚か。感覚だとしてみよう。感覚だけが唯一すべての人がもっている。理屈、真理、理論はもっていない人の方が多い。だから、理屈、真理、理論で置いても共感できる人がそもそも少ない。

では、感覚はどうだろうか。同じ感覚でないと共感できないだろうか。同じでなくても共鳴をさせることはできるだろう。たぶん、感覚の方がさまざまな解釈が入りこむ余地が生まれるからレンジが広い。感覚という曖昧さが、かえって何かを決めるときには有効なのかもしれない。

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境界線に言葉

図面を上から俯瞰して手を入れたくなるのは境界線であり、その境界線の内と外でのちがいを言葉で入れてみる。言葉はひとり歩きしやすいから、そこから今までとはちがった展開を期待してしまう。

境界線と言葉を入れながら、同時にかんがえているのは人への影響である。人のこころに響くだろうか、何を想うだろうか。建築によって何かがかわると思わないが、ゆさぶることはしてみたい。言葉は直接届けられないが、境界線は目にすることができるので、境界線上で何が表現できるか。

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タネが生みだすちがい

遠くから見たときに、どう見えるか、を考えている。遠くから見るためには、遠くから見えなくてはならない。なるべく遠くから見えるように配置してみる。遠くから見えるためには、なるべく高い方がいいかもしれない。なるべく高くしてみる。遠くから見えるためには、まわりと区別できるようにした方がいいかもしれない。なるべく目立つようにしてみる。

配置する、高くする、目立つ、それぞれは別の要素だが、目的はひとつ。アプローチはいろいろある。アプローチを組み替える、強弱をつける、などして少し変えれば、できあがるものも変わるだろう。何でもないことが今までと違ったものをつくりだすタネになるかもしれない。

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光の形に省エネ

建築は光に形を与えることができる。最近、光の形をつくるような建築を見ない。きっと、そのようなことが求めらていないからだろう。

しかし、近年、省エネのために太陽の光は注目されている。ただ、そこでは光の形など関係ない。もう少し、光の捉え方を変えてみたらどうだろうか。光に形を与えることにより省エネにならないだろうか。

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光のフォルムとマテリアル

窓はひとを感動させる。正確にいうと、窓から入る光がひとの感情をゆさぶる。もし、空間に光が差し込まなかったら、建築で感情をゆさぶる要素は装飾だけかもしれない。だから、光は感情をゆさぶる装飾ともいえる。

建築でひとの感情をゆさぶりたい。だから、光は重要な要素であり、光の扱いが重要なデザインである。光をそのまま導くのか、それとも、何かを媒介させるのか。きっと何かを媒介させることで、光にフォルムやマテリアルを与えることができる。光でひとの感情をゆさぶるには、媒介による装飾としてのフォルムやマテリアルが必要だとかんがえている。

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土間という場所

土間って不思議な魅力がある。こどもの頃住んでいた家には土間があった。そこには井戸があり、風呂を薪で焚きつけるための窯もあった。外でもなく、内でもない場所、土間という場所。

まわりと関連づけることもできるけど、独立してそこだけに存在している場所。中間領域だが、絶対的な領域でもある。まさしく土間という言葉でしか形容できない。そのような空間をつくりたいといつもおもう。

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