バラバラな点

流れと捉えることはよくある。流れを読むとか、時の流れとか、空気の流れとか。流体力学なんて響きもなんとなくカッコいい。流れはすなわち、つながりともいえる。つながりがあるから流れになる。バラバラであったものがつながり動きだす、そのときの航跡が流れとしてみえる。だから、流れの前提はつながりがあることである。では、つながりが無ければ、それはただのバラバラな点の集まりである。たくさんの点が同時に存在しているだけのことである。

ちょっとおもう、この現実世界は流れでもあり、バラバラな点の集まりでもあると。つながりを見だせば流れだが、つながりを解く、別のつながりを設定する、新たなつながりをつくれば、今までの流れがバラバラな点の集合でしかなくなる。

要するに、流れとはつながりを保つ行為であり、別にバラバラでもよければ簡単に消滅するし、バラバラな点の状態の方がいろいろな流れを形成する可能性を秘めており、その方が多様で面白そうだ。そんなバラバラな点の状態のようなモノをつくりたい。

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質より使い方

最近チープなデザインが多いような感じがする。理由は仕上げにお金をかけけることができないからだとおもうが、そこには触れないようだ。

どうしてモノ自体にもっと目を向けないのだろうか。チープに見えるのは仕上げ材の質ではなくて、材料の使い方が問題なのに。

使い方ならばそれほどコストには影響しないようにできるし、そこにデザインの余地がある。

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今でも昔でもない

懐かしさや郷愁にもにた感覚をもとめてしまうことがある。こどもの頃に遊んだ場所にいってみたり、子供のころ、毎夏両親の田舎に遊びいった思い出を辿ってみたり。

昔とはすでに何もかもちがうのに、今それを懐かしむことで、昔と今を融合させた何かをつくりたいのか。

ただ、いつもおもうのは、何もかもちがうけれど、今と昔の間の時間差は一瞬で埋まり、そこにはタイムラグはなく、今でも昔でもないもうひとつの時がうまれるような気がして、それは自分だけのものであり、その感覚を求めていたのだと。

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時は流れではなく

時の流れというけれども、たしかに時間はつながっており、時間に切断面は存在しないようにおもえる。

しかし、今この瞬間からみたら過去も未来も流れではなく、ひとつの止まった切断面にしかみえず、しかも、それは現在も同じで、それら3つの切断面が合わさって今この瞬間がつくられているようにおもえる。

そうすると、時は流れではなく、今この瞬間のひとつの要素として過去、現在、未来があり、それらが今この瞬間を多様にしてくれているだけで、次の瞬間にはまた別の過去、現在、未来が存在して多様にしてくれる。時間は流れではなく、今この瞬間を多様にしてくれる単なるアイテムでしかないのかもしれない。

ならば、過去のモノを今この瞬間にいかすことも、ことさら過去という時制には意味がなく、そのモノがどういうモノかということの方が重要なのかもしれない。

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今このとき

今現在から過去や未来を考えることは、実際の過去や未来とはちがう。今という時間にポーンと投げ入れられたとしたならば、そこにはすでに過去や未来はあり、ただその過去や未来は自分が都合よくつくったものであり、だからこそ、歴史は勝者によって捻じ曲がり、未来も方向づけられてしまう。

しかし、そうなると、実際の過去や未来にはいつまでたっても出会えないし、もしかしたら、実際の過去や未来など無くて、あるのは現在がより複雑で多様なだけなのかもしれない。

そう考えると、過去のものを未来に残そうとか、現在が過去から未来への流れの一地点とは思えなくなる。あるのは今この時の現在だけで、過去も未来も今この時のためのパーツでしかない。だから、今が大事ということか。

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今そこにある

ずっと興味があることは、今、見ているモノに刺激を受け感情を揺さぶられることはどうやったら起こるのだろうか、ということ。それを建築で叶えるためには何をどうするか。

最初は知覚の問題かと考えていた。要するに受容側の問題であり、受容の時のしくみをいかせばいいと考えていた。

たしかに、その要因もあるが、もっと根本的にモノ自体がどうあるべきか、モノはどこにどのように存在するのかを考えれば、そこに知覚の問題も含まれるし、建築が関係性から脱しで、今そこにあることができ、それが感情を揺さぶることになると考えた。

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引き継ぐ

建替えに際して、何とか前の建築からのつながりを残したいとの想いから、何かを引き継げないかと考えている。

モノとしての古材や、例えば、建築の配置や高さ、空地の残し方など、今ある事柄からいくつか候補はある。しかし、少しおもうのは、何を選んでも、またそれをどう使おうとも、前の建築とはつながりは生まれないのではないか、ということ。

何かを引き継いで使ったり、そこに妥当性を与えたとしても、今との関係性で構築したものだから、その時点で前の建築とのつながりは絶たれてしまう。もしかしたら、何かを引き継ぐという考えでは無理があるのかもしれない。

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