際の敷地に慣れ以上の何かがあるか

線路際の敷地での設計や工事の経験は何度もあります。一番最初は前に在籍していた設計事務所ではじめて担当した集合住宅の設計で、敷地が東海道新幹線を見下ろす場所だったので、事前協議の書類を提出するためにJR東海の大井車両基地へ何度か行って、止まっているたくさんの新幹線車両を間近で見たりもしました。

他の鉄道会社でも、設計段階で事前協議をし、別にそれは大変なことではないですが、一番気を使うのは施工段階の実際に工事をする時であり、設計事務所にいた時はゼネコン任せでよかったですが、自社で設計施工をするようになると、もし万が一何か事故があれば大変なことになるかもしれないという心配がいつもありました。

ただ、実際に工事がはじまれば、心配は最初の方だけで、きちんと安全対策を取るのだから問題は無いので、段々と慣れてきて気にもならなくなり、むしろ間近で電車が見られることを楽しんだりもしていました。

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そうやって余裕ができると、いつもふと思うことがあります。すごく近くを電車が通り、時には車両の中の乗客と目が合ったりして、実際の距離がとても近くても、お互いのいる場所は全く違う空間であり、その空間同士は断絶しているから、お互いに近かろうが、目が合おうが、全く気にならない、この関係性をうまく同一の建築の中におさめることができたならば、高い公共性やプライバシーが要求される建築での有効な空間構成が発見できるのではないだろうか。

実際にずーっと線路際の土地に住んでいる人にとっては、近くを電車が通っていても、気にしないどころか、無いも同然なので、それはただ単に慣れ以上の何かがあるとして考えてみるのがいいかもしれない。

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