暮らしの中で欲しいが空間になる

よくその人だけの居場所をつくったりする。そういう場合は大抵クライアントからの直接的な要望ではなくて、お会いしていろいろとお話を伺う中で頭の中に急に浮かんできたりする。家と人をつなげたいというか、そういう居場所があってはじめて自分の家だと思うような気がしているから。

お子さんがまだ赤ちゃんの時から将来この子に勉強を教えるのが楽しみですと雑談の中で語っていた。たぶんその時はダイニングテーブルで子供が学校の宿題や勉強をしている横で、自分は本でも読みながら、子供の勉強を見るようなイメージだったと思う。

クライアントも本を読むのが好きで、ただ書斎をつくる程のスペースは取れなかった。そこで各個室に行く廊下を少し広げ、そこに本棚と長机を造り付けにしスタディスペースとして、書斎とお子さんもそこで一緒に勉強をする場所とした。

そもそも機能上は廊下だから家族みんなが通る。だから、そこで本を読んだり勉強をしていても、部屋に籠るのとは違って、家族がお互いに何をしているのがわかり、それでいて自分の居場所でもある。

クライアントとの雑談の中で、形として明確ではないけれど、これからの暮らしの中で欲しいのはこのようなスタディスペースではないだろうかと思い、提案し実現した。

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敷地いっぱいが住環境スペースになるように

隣の家とのすき間はなんとかならないか、中途半端に空いていて、敷地が広ければいいが、狭い敷地だったら勿体ないし利用したいとずっと思っていた。

ちなみに、民法上は境界線から50cmは空けなければならない、だから、必ずすき間ができる。

もちろん、そのすき間が無ければ、作業スペースが取れないから家自体を建てることができない。ただ、そのすき間がもっと狭くても、50cm未満でも建てようとすればできなくもない。

旗竿状の敷地というのがある。敷地の形状を上から見たら竿にたなびく旗のように見えるからそう呼ばれる。敷地というのは建築基準法上、道路に2m以上は接していなければならないと決められている。だから、道路に2m以上接していない敷地には法律上、家を建てることができない。

旗竿状の敷地は竿の部分の巾が2mで、そのままの巾で道路に接していることが多く、これは大きさな敷地を道路に対して手前と奥で分割する際に、奥の敷地に法律上、家を建てることができるようにするための苦肉の策である。そして、その竿の部分には巾が狭すぎるため建物を建てることはほとんどしない、大体、車や自転車の置き場所になり、建物を建てるのは敷地の旗の部分になる。

その竿の部分が20m以上ある旗竿状の敷地が住宅の計画地になった。敷地面積には当然、竿の部分の面積も含まれるから、竿の部分が長くなればなるほど、建物を建てる旗の部分の敷地面積が狭くなり、竿の部分が20m以上もあれば、旗の部分は狭小地と呼べるくらいに狭い。

クライアントの要望はただ1つ「家の周りにメンテナンス用のスペースを取って欲しい」だった。建て替えだったが前の家では家の周りのスペースが狭すぎてメンテナンスに苦労したようだ。

敷地の旗の部分がただでさえ狭いのに、メンテナンス用のスペースを取ったら、余計に狭くなり、家自体も狭くなる。だから、家の周りのメンテナンス用のスペースをなるべく小さく狭くして、家自体の広さを確保することを考える、これが常套集団だろう。

ただ、それではメンテナンスという、家が建っている間に何回も必要にはならないことのためにスペースを空けておくのは勿体ないし、もっと積極的にクライアントの要望に応えたかった。

だから、家の周り四周に、民法上必要なスペースの倍の巾のスペースを取り、それはクライアントの要望のメンテナンス用のスペースとしては余りあるぐらいの広さであり、そして、その家の周り四周にウッドデッキを敷き、その高さは1階の室内の床の高さと同じにして、1階にあるリビングダイニングスペースが敷地いっぱいまで広がっているような感覚をつくり出し、敷地の狭さ、家の狭さを視覚的にも和らげようとし、尚且つ、積極的に敷地いっぱいを住環境スペースとして利用することを試みた。

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光はどこまでも深く差し込む

真上から光が差し込んでキラキラと波打つ水面に辿り着くまで、階段を何段も降りていく。それはストリートレベルから地下鉄の入り口のような階段を降りて行った一番深いところに緑色の水面がある。

インドの階段井戸の話である。井戸の水面は地中の深いところにあるが、その水面まで地上から真っ直ぐの階段で降りていけるようになっている。地中の深いところにあるから水面の辺りは暗いと思っていたが、水面の真上は真っ直ぐ地上までつながっていて、トップライトのように光が井戸の側壁に反射しながら降り注いでいて結構明るい。

ちなみに、トップライトとは天井に開いている明かり取りの窓のことだが、壁に開いている窓と比べて3倍の光量がある。だから、同じ大きさの窓ならば、壁よりも天井にあった方が空間を3倍明るくする。

「昼間に電気をつけないで生活がしたい」

それがクライアントの奥さんの要望だった。しかも、家族が集まり、奥さんが1日のうちで1番居る場所であるキッチン、ダイニング、リビングは1階にしたいという要望もあった。

その敷地は周りを建物に囲まれていて、狭くはないが、太陽の光が1階に差し込む時間帯はわずかであった。昼間はずっと電気をつけなくてもよい明るさが求められていたが、仮に吹抜けを設けて、2階の天井にトップライトを設置し、1階まで光が差し込むようにしたくても、そうすると、2階に必要な部屋が必要な大きさで取れない。

吹抜けをつくらずに、それでも1階まで光を落としてこなくてはいけない、床が邪魔をする、ならば、光を通す床にすれば良い。

1階のダイニングテーブルの真上、そこは2階の廊下の床であり、ガラスの床であり、その真上にトップライトがある。1階のダイニングテーブルから見上げると空が見える。

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家族だから個室はいらない

お互いに別々なことをしていて、それは同じ時間帯に、同じ空間で、それが当たり前の家族は結構多くて、今まで携わってきた住宅のクライアントにも結構多くて、ただ、家族だから個室に篭って別々になるのは避けたという話は打合せでよく出る。

「だから個室はいらない」

「でも完全にオープンにはできない、娘二人だから」

ある住宅のクライアントから出た要望で、3LDKとか、4LDKなどのプランに慣れ親しんだ人には、空間的に矛盾をしていることになるだろう。

従来のnLDKのプランでは、個人の空間をつくるためには壁で囲うという発想だった。それが必要無いとなると発想を全く変えるしかない。ちなみに、声や物音がしても、気配を感じても良いそうだ。

ならば、個人の空間をつくるということではなくて、必要な時に隠れることができる場所、すなわち、死角をつくり出すことができれば良いのではないかと考えた。

1階全部をキッチンやリビング、ダイニングスペースと水回りに当て、2階の壁を全部無くして、全て可動間仕切りにし、可動間仕切りを全て閉めれば4つのスペースに区切られるが、開け放しても可動間仕切りの扉が残るので隠れるための死角ができる。

それが、個室はいらないが、完全にオープンにはできない空間への提案であり、採用され実現した。

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最初のイメージが道しるべになる

どこに居ても気配を感じるように、壁で仕切られた場所はあるが、移動すれば必ずどこにいても気配を感じる。つながりたくなれば扉を開ければよい、お互いに顔が見えるし、何をしているのかわかる。それぞれの場所でそれぞれが違うことをしていても、何かがつながっている。

これは前に設計した住宅の構想段階で、クライアントの話を聴きながら、頭の中で思い浮かべたこと。

家族が好きなように好きなことをして好きな場所にいるのだけれども、ひとつ屋根の下でチラッと見えたり、音が聞こえたり、足音に気づいたり、もちろん一緒に居れば、様々な空間のつながりから、光や風が人に優しく届く。

きっとクライアントの家族がみんな家に居るのが好きだったので、ならば家の中にたくさんの居場所をつくり出し、その居場所はお互いにちょっとずつ空間的なつながりがあるから、その都度好きな居場所を選んでも、お互いにお互いを感じられる、そういう住宅をつくろうした。

具体的なプランに入る前のこういう漠然としたイメージが最後の完成へと導く道しるべになる。

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"The first image becomes a guide"

There are places that are partitioned by walls so that you can feel the sign wherever you are, but when you move, you will always feel the sign. If you want to be connected, just open the door, you can see each other's faces and you can see what you are doing. Something is connected even though each place does different things.

This was the idea of ​​the house I designed earlier, which I had in mind while listening to the client.

They do what they want and do whatever they want, but they can see a glimpse under one roof, hear a sound, notice footsteps, and of course, various spaces if they are together. Because of the connection, light and wind reach people gently.

I'm sure that all the client's families loved staying at home, so I created a lot of places in the house, and those places have a little spatial connection with each other, so I choose the place I like each time. But I tried to make such a house where we can feel each other.

Such a vague image before entering a concrete plan is a guide to the final completion.

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まず王道、定番へいく

建築物の大きさの限界は敷地の大きさで決まる。広い敷地には大きな建築物が建ち、狭い敷地には小さな建築物が建つ。それは当たり前のことだが、建築物の大きさの違いの意味はこれだけであり、大きさの違いが建築物そのものの優劣を示すものでは無い。

どこに建つか、都心であろうと、郊外であろうと、地方であろうと、山や海に近くても、それは建築物の建つ場所がどこかを選ぶだけのことであり、建つ場所で建築物そのものの優劣は決まらない。

建築物を建てる予算が有ろうが無かろうが、できあがるのは建築物であるのだがら、予算の有る無しが建築物そのもの優劣には直接関係が無い。

そうやって、ひとつひとつ紐解いていくと、まだまだ解き明かしていくことはたくさんあるが、クライアントにとっての王道、定番となる建築物が出現してくる。

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"First, go to the classic road"

The size limit of a building is determined by the size of the site. Large buildings are built on large sites, and small buildings are built on narrow sites. That is obvious, but this is the only meaning of the difference in the size of the building, and the difference in size does not indicate the superiority or inferiority of the building itself.

No matter where you build it, in the city, in the suburbs, in the rural areas, or near mountains or the sea, it just means you choose where to build the building, and the building itself The superiority or inferiority is not decided.

Whether or not there is a budget to build a building, but the result is a building, but without a budget, there is no direct relation to the superiority or inferiority of the building itself.

By unraveling each one in this way, there are still many things to unravel, but a royal road for clients, a classic building will emerge.

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暮らしがどのくらい変わるのか

暮らしが変わるのだろうか、大きく変わるという人もいて、今まで変えようとして変えることができなかったこと、リモートワークや電子認証などのデジタル変革がたった2ヵ月で起こり、働き方改革も一気に進むから、東京から地方へ、多拠点生活に、都市生活を補完するような地方暮らしをする人が増えるという見方がある一方で、世界的には来年には今年起こったこと、新型コロナ渦は無かったことになるだろうという人もいるし、今この混乱期にいち早く動いて、周りが止まっている間にシェアを拡大した大企業もある。

全く暮らしが変わらないということは今さら無いだろうが、どのくらい変わるのか。時代を振り子に例える人は、大きく揺れれば、振幅は大きくなり、小さければ、振幅も小さいという。

今回の新型コロナが及ぼした影響は、たくさんの死者を出し、経済的にも大きなダメージをもたらしたので、とても甚大ではあったが、暮らしに関しては巣篭もりするという、今も続く初めての経験をしていても、そのための手段はリモートワークにしても、今までSkypeやテレビ電話で行ってはいたし、日用品の配送はAmazonフレッシュ、フードデリバリーはUber Eatsなど既存のサービスを使うことで解決でき、なかなか思うように外出できないなどの不自由な思いをしながらも、慣れてくれば以前とさほど変わらず、むしろ新たな発見や試みにより、今回の新型コロナ渦を暮らしの精度を上げるために利用している人さえもいて、影響と被害は甚大だが、暮らしに対する振り子の振れ幅は小さく済んでいるような気がする。

だから今は、暮らしが大きく変わるようには思えず、ウィズコロナ用の対策がワクチンができるまでプラスされ、その期間が長く続くというぐらいの変わりようなのかなと思ってしまう。

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"How much will life change?"

Some people will change their lifestyles, and it will change drastically.Because they could not change it until now, digital transformation such as remote work and electronic authentication will occur in just two months, and work style reform will progress at once. While there is a view that more people will live in rural areas that complement urban life from Tokyo to rural areas, there is no new corona whirlpool next year next year. Some would say this would be the case, and some large companies have been quick to move into this turmoil and have increased their shares while the environment has stopped.

It's unlikely that your life will change at all, but how much will it change? People who compare the times to pendulums say that if it shakes greatly, the amplitude will increase, and if it is small, the amplitude will be small.

The impact of the new Corona this time caused a lot of deaths and caused great financial damage, so it was extremely huge, but I had a bird's-eye-like experience in my life. However, even if remote work is used as a means for that, I have been using Skype or videophone until now, I can solve the problem by using existing services such as Amazon Fresh for daily necessities and Uber Eats for food delivery, which is quite easy. Even though I feel like I can not go out as I want, if I get used to it, it does not change much as before, but rather by new discoveries and trials, I am using this new corona vortex to improve the accuracy of life There are even some people, and the impact and damage are great, but I feel that the swing range of the pendulum with respect to life is small.

So now, I don't think my life will change significantly, and I wonder if the measures for Wiscorona will be added until a vaccine can be made, and that period will last for a long time.

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