らしさを纏う建築

線路際、よく見える場所、線路に沿って細長い変形地、そこで平屋、飲食兼料理教室を行う小さな建築を考えている。

お話をいただいて、実際に行うかどうかもまだわからない、影も形もない現状で、現地を見て、これは面白そうな仕事になる予感がして「是非」と思い、それから「らしさ」をずっと考えていた。

敷地の形や大きさと、平屋との希望から、本当に小さな建築になる予定で、そうなると、必然的に建築全体を一目で判断することとなり、それで建築としての印象が、イメージが決まってしまう。要するに、建築のデザインが印象と直結するのである。

だから「らしさ」が必要かというところから考えて、使い古された言葉だが、アイコンのような、その建築を見ただけで、飲食店のような、料理教室のような「らしさ」を醸し出している方がよいのかどうなのか。

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むしろ「らしさ」を外すのは簡単なので、何々に見えないようにするのは案外簡単なので、「らしさ」を醸し出すデザインを、それも建築のデザインとして成り立つものを、そちらの方が遥かに難しいので、「らしさ」を醸し出し纏う建築を考えている。

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拾い集めるだけても

あとここが良くなればいいのに、あとここがこうなっていれば手に入れようと思うのに、ということがよくある。そういう時は大抵、自分の中でははっきりとはしていないが、なんとなくこういう物が欲しいことはわかっていて、でも具体的なイメージをまだ考えていない。

違和感を感じている状態ともいえるが、そこからよく考えると、あとここがという部分になかなか答えが見つからない、それはわかっていないからか、知識がないからか、技術がないから。

それと、その違和感は同時に、普通すぎて、よく見かけるし、ありきたりで、つまらないから、何とかした方がもっと良くなるという想いも伴う。

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だから、あとここが良くなればいいのに、あとここがこうなっていれば、という想いをたくさん拾い集めるだけでも、コロナで家にいてはできない体験だなと思っていた。

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らしさと精度

人は「らしさ」を無意識のうちに求めている。

家らしさ、建築家らしさ、飲食店らしさ、などなど、究極は人間らしさか、「らしさ」を求めているというよりは、「らしさ」があるとわかりやすいから、人はわかりやすいものに惹かれるのだろう。

「らしさ」は厄介だなと思う。無視はできないし、でも無視したいし、らしいものをつくるより、らしくないものをつくりたくなる。誰も見たことがないものをつくりたくなる。

世の中で一番多いのは、斬新だけど売れないものらしい。だから、売れないと困るから「らしさ」が気になる。

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精度高く、クオリティ高く、「らしく」なく、誰も見たことがないものをつくったら、どうなるのだろうか。それが斬新だけど売れないものなのだろうか。精度が高ければ、売れると思うのだが、精度が高いものは誰でもつくれるものではないから。

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らしさは必然か

らしさは建築には必要なのか、物全般にいえることかもしれないが、「らしさ」がないと人はどうしていいのかがわからないのかもしれない。

建築以外だと「らしさ」から人は使い方を推測するので、「らしさ」は残しつつ、余計な物は削ぎ落として、シンプルに機能性重視のデザインでつくるか、もしくは「らしさ」にデコレーションして、「らしさ」に付加価値をつけるか。

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付加価値をつける場合は気をつけないと、やり過ぎると「らしさ」が消えて何だかわからなくなる。それがアート作品であれば、それはそれでいいのだが、使い道や用途があるならば、道具としての、物としての「らしさ」が無くなると価値も無くなる。そのことがわからずに、よく勘違いしている物を見かける。

使い道や用途がはっきりしているならば、やはり「らしさ」は必要なのかもしれない。ならば、建築にも当然「らしさ」は必要になるはずだが、なぜか同意しつつ違和感がある。

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らしさはデザインか

「らしさ」はデザインの範疇なのかと考えた。家らしさ、飲食店らしさ、工場らしさ、遠くから見て、その外形や外観でその建築が何の用途なのかがわかることは大事なのかとも考えた。

「形態は機能に従う」ではないが、その建築が何のためにそこに存在しているのかを外観が一目で教えてくれることはよくあるし、そういう外観の判断を実際の手掛かりによくする。

駅らしさ、交番らしくさ、病院らしさ、学校らしさ、こうやって「らしさ」を並べていくと、言葉では上手く言い表せなくても、何となく「らしさ」の違いを感じることはできるだろう。そういう感じの違いを頼りに目的地を探し当てたりしている。

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設計する時に意識して「らしさ」を演出することは、そうはないとは思うが、結果的に「らしさ」の範疇に落ち着くことが多いのは、建築計画学における建築の用途の違いが結果的に「らしさ」の演出になっているからだろう。だから、「らしさ」を意識しなくても、自然と「らしさ」の範疇におさまることになる。

建築以外のデザインの世界では「らしさ」やシズル感が重要視されているが、デジタル化に伴い、その「らしさ」やシズル感の演出に苦労している。それはデジタル化によって「形態は機能に従う」ではなくなってきたからで、形態は単なる「装飾」として存在するだけで、機能は形態を必要としなくなったから。

そして、「装飾としての形態」はユーザーとの関係構築のためだけにつくられる。要するに、「らしさ」という装飾で物と人をつなげるだけが形態の役目で、はじめの第一印象を決める役目を形態が担う。ということは、やはり「らしさ」はデザインの範疇になるのだろう。

では、建築にとって「らしさ」は大事なのか、そもそも必要なのか、それはまた次回、ここに書きます。あと、「らしさ」には使用との関連もあります。

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自分でつくるとは精度による

自分でつくる、といっても、自分でつくるわけではなくて、人につくってもらう。自分で構想して、人につくってもらっても、自分でつくるという。つくる、ということに対して、自分の手を実際に動かすかどうかはあまり関係がないと思っている。

だから、自作といっても、構想はするけれど、実際に手を動かしてつくるのは専門の職人かプロに任せる。趣味程度でよければ、自分の手を実際に動かしてつくるが、それでは、出来上がったものに、その精度に満足できないのがわかっているから、自分では手を出さないし、そもそも趣味程度のものをつくるために構想はしない。

今までに建築において、実際に自分の手を動かして自作したことは何度かある。その時は予算が無かったのと、ちょっとやってみようかなという気持ちになったからで、ただ、精度を求めてつくり方を考えたが、やはり、その道の専門の職人では無いので、引き出しが無いというか、自分ができる範疇でしか考えられないので、出来上がったものは、それはそれで良いのだが、何かもの足りなかった。

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ただ、精度を求めなければ、つくること自体は楽しいので、上手に楽しさと精度のバランスが取れるならば、自分の手を実際に動かしてつくりたい。しかし、常に出来上がりの精度が気になるし、その精度も求めているデザインの範疇だから、高い精度でないと満足できない。

自分の手を実際に動かしてつくることは、精度の曖昧さがデザインの特徴になる場合でしか成り立たないのかもしれない。

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木目を装飾として扱う

木の仕上げが施された空間にいると、他の仕上げ、例えば、コンクリート打放しの空間にいるより、癒されたり、落ち着いたりするのだろうか。

よく木をたくさん室内の仕上げに使うことを特徴とする住宅や商品化住宅がある。木をたくさん使う目的は、癒しであったり、木が自然を象徴し、自然を取り入れているというイメージの良さがあったり、また、それを望んでいる人も多いからだろう。

ただ、別の見方をして、木の表面の木目だけを取り出して考えてみることもできる。木目という装飾であり、木目という記号であり、無垢の木とは別もので、表面の木目だけを独立して考えてみる見方である。そうなれば、木もクロスやペンキや金属などの表面の仕上げの種類のひとつでしかなく、木の仕上げに特別な意味がなくなる。

装飾とは外の世界との調整をはかるためのものであり、装飾をして、自分の立ち位置を明確にするというお約束がある一種の記号のようなものでもある。

だから、クロスでもない、ペンキでもない、金属でもない、木目という装飾を施すことを選択する時点で、外の世界との調整がはじまり、立ち位置がはっきりしてくる。その調整や立ち位置の取り方を別の言い方で表現すればデザインになる。

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その木目のデザインの範疇には、当然、癒しや落ち着きなどの感情も含まれるだろうが、そこで止まってしまっては木目の持つデザインの可能性を活かし切れていないと考えており、木目を装飾として意識して、何かとそれを取り巻く世界や環境との折り合いをつけるために、選択肢のひとつとして木目を利用する。そうしてはじめて、木が癒しや落ち着きなどの感情を与えるだけのものから離れて、素材として、もっと自由に、もっと創造性豊かに扱えるようになる。

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