光の造形で自然を感じる

建築ならば、建築で自然の中にいる心地よさや気持ちよさを表現する、それは決して自然を再現することではなくて、建築のデザインとして表現する。

フィンランドの建築家、20世紀の巨匠、アアルトの話を出した。造形、素材、光でフィンランドの自然を建築として表現し、心地よさや気持ちよさを体験させてくれる。

ここまで、素材と造形について書いた。それは素材や造形を通して建築と自然の関係性をまず書いた方がわかりやすいと考えたからで、光はそのものが自然であり、太陽の光は一様にどこにでも降り注ぐから、フィンランドの自然という地域性を出すことはできないと考えてしまう。

ところが、アアルトの自然を表現するデザイン要素として光を出した。アアルトは光も造形の一種、目に見える形を光に与えていた。だから、光は造形の下位属性になるかもしれないが、その造形としての光の扱い方がアアルトの建築の特徴だったので、造形と同等にした。

光を造形として扱う具体的な手法は、窓と呼ぶ開口部に造形を与えることだった。開口部は光の取り入れ口だから、そこが造形的になれば光を造形として表現できる、唯一光に形を与えることができる建築の部位は窓と呼ばれる開口部だけかもしれない。

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冬のフィンランドは雪に閉ざされ、太陽が見えない日が続き、直接光が室内に差し込まない状況では光を感じることもできない。そこで、きっとアアルトは光を造形的に扱い、光に形を与えることにより、冬のフィンランドで光という自然を象徴的に表現したのだろう。

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際立つ造形が自然を想起させる

建築ならば、建築で自然の中にいる心地よさや気持ちよさを表現する、それは決して自然を再現することではなくて、建築のデザインとして表現する。

アアルトの造形は決して自然の形ではないが、自然を想起させる形をしている。結局、人は目から入る自然の景色を自分が判断できるものに還元して認識している。

なので、自然そのものの形もそこに規則性を探し出して見ようとし、アアルトはその規則性を抽出して造形しているような気がする、だから、自然を想起させるのだろう。

アアルトの建築をスケッチすると、アアルトの建築に使われている丸味は結構きつい、丸味が強く、自然の丸味を誇張しているような気がする。それはデザインをする上で意図的に丸味を強調しているのかと考えることもできるが、そうではなくて、より強い丸味は余韻みたいなものを残し、それが伝播していき、自然を想起させることになる。

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それは丸味だけでなく、アアルトの建築に関する造形の全てにいえることで、自然を想起させるために、より人工的に形を際立たせることをしている。

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素材で自然を表現する

建築ならば、建築で自然の中にいる心地よさや気持ちよさを表現する、それは決して自然を再現することではなくて、建築のデザインとして表現する。

フィンランドの建築家、20世紀の巨匠、アアルトの話を出した。造形、素材、光でフィンランドの自然を建築として表現し、心地よさや気持ちよさを体験させてくれる、ただ、それはフィンランドでの自然であり、フィンランドでの心地よさや気持ちよさだと思い、そこから学び、日本では日本なりの自然を建築に取り込み、心地よさや気持ちよさを表現する仕方があると考えている。

やはり、建築のデザインには地方性を取り込みたい、その地方性が日本で建築をつくることの意味につながる。

アアルトの素材は、フィンランドで手に入る自然素材を使うのが前提だった。それは時代背景もあり、第二次大戦後、フィンランドはソビエトに賠償をする立場にあり、国として貧困になり、産業らしい産業もなく、使える素材は粗悪な木材しかなく、ならばそれをデザインで生かすことをやりはじめた。

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だから、その素材をデザインに利用した建築や家具などは、それを使うだけでフィンランドの森や湖をイメージできたし、それが心地よさや気持ちよさのデザインの源になった。

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人工の建築で自然の中にいるような

この季節、梅雨の晴れ間の適度な湿気がある風が心地よくて、緑の中を散歩したくなります。現場からの帰りに井の頭公園の水辺を歩くと、ほんとうに気持ちがいい。誰もがベンチでくつろぎ、思い思いに過ごしている。

こういう心地よさや気持ちよさを建築でどうやって表現するか、実現するか、そのままの緑や水辺をつくることができれば一番よいのかもしれないですが、敷地が狭かったり、そもそも庭がつくれないとどうしようもない。

建築家のアアルトはフィンランドの豊かな自然を造形、素材、光で建築の中に表現した。自然の中にいるような心地よさや気持ちよさを人工の建築で実現しようとすれば、自然をそのまま再現しても、それはどこまでいってもギミックであり、人の深層心理である心地よさや気持ちよさはそのような作為を見抜き拒絶反応を起こす。

ならば、人工である建築で自然の中いるような心地よさや気持ちよさを実現するには、それにふさわしいデザインが必要になる。そのデザイン要素がアアルトの場合、造形、素材、光だった。

では、造形、素材、光とは何なのか、それはまた次回、心地よさや気持ちよさを表現する建築デザインの話として、ここに書きます。

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住めば都は違和感を感じない

何かの問題や課題があり、それに対して建築のデザインで回答していく、これが建築の設計の本質だと考えています。もちろん、無理矢理に問題や課題をつくり出す必要はないですが、必ずといっていい程、問題や課題が存在するものです。

そして、家であれば、その問題や課題は、そこに住む人特有の問題や課題である場合が多い。だから、その問題や課題を建築のデザインで解決していけば、自然とそこに住む人にとって最適な建築のデザインが生まれ、住んでいて気持ちいい家になる。

だから、家に無理矢理、自分を合わせなくてもよくなる。案外、自分を合わせて住んでいて、それは慣れてくると違和感を感じなくなり、「住めば都」となるかもしれないけれど、スーツで例えたら、オーダーメイドのスーツの着心地の良さにはかなわないでしょう。

それに「住めば都」状態におちいると違和感を感じないから、課題や問題にも自分では気づかなくなる。設計のプロセスで問題や課題を意識してみるだけでも、今後の日常や暮らしを考える上で価値のあることだと思います。

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お互いに気になる気にならない

何かの問題や課題があり、それに対して建築のデザインで回答していく、これが建築の設計の本質だと考えています。もちろん、無理矢理に問題や課題をつくり出す必要はないですが、必ずといっていい程、問題や課題が存在するものです。

まず周辺環境に対する問題や課題が出てくることが多いです。どのような場所に建てようとしているのか、例えば、住宅街の中に家を建てようするとプライバシーの確保が課題になることもあります。

プライバシーの確保は他人の視線が気になるもので、ところが、他人が自分とは違う状態や行動をしていたら、案外間近にいても気にならないものです。そのいい例が通りに面したオープンカフェ。カフェでお茶をしている姿は通りから丸見えでも、通りを歩いている人とカフェでお茶をしている人は全く違う行動をしているので、お互いに気にならない。

ところが、住宅街ではお隣り同士が私生活をその場で行っているので、お互いに違う生活パターンで日常を送っていたとしても、私生活を送るという状態は同じなので、お互いが気になる時が出てくる。

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そうすると、後から家を建てる方が隣りの家の窓の位置を気にして配慮をする必要が出てきます。案外これが設計のプロセスにおいて重要なことになる時があります。

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つながりに着目してみる

「つながり」を意識することが設計プロセスでは多いかもしれない。

窓がつながりを表現しているものならば(『窓はつなぐもの』を参照)、他にも見えるもの、見えないもの、建築には実にたくさんの「つながり」が表現されている。

人の動きでいえば、家事動線もつながりだが(『つながりで家事も考える』を参照)、人が動き回ることをイメージし、その時の視線の動き、それによって見える風景が連続的に変化する様を「つながり」と捉えて、変化する様をデザインのテーマにし、空間を連続的に配置して考えていく設計もあり、また逆に、空間の連続的な配置から「つながり」を設計し、人の動きをデザインするやり方もある。

「つながり」に着目すると、まだまだ様々な事柄が設計プロセスに関係してくる。

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